人のために役立つ自分がいる

自分が幸せになれば、人の幸せも考えられるのは本当か?

自分の幸せ追求に向かえば向かうほど、周りの気持ちを感じることができなくなる。

人の喜びを自分の喜びと感じることができれば、充足はあふれるほどに出てくるのではないだろうか。

以下、
リンク
より引用します。


【Vol.28】人のために役立つ自分がいる

人間としての魅力の中で、一番大切なものであり、それでいて忘れがちなのが「他の人のために役立つ」ということです。人のために自分を役立てることのできる人を「人徳のある人」と言いますが、その徳が備われば、最高に魅力ある人になることができます。

私たちが幸福を考えるとき、陥りやすい誤解がひとつあります。それは、自分が幸福になることばかりを考えて、幸福を追い求めていることです。
まず自分が幸福にならなければ、他の人の役に立つことができないと思われるかもしれませんが、そうではありません。自分だけの幸福は、この世の中では実現不可能なことなのです。

私たち人間は、1人で生きているのではありません。前にも述べたように、大自然のすべての恵みを受けて生かされているのです。そして、同じ人間である多くの人たちの有形無形の影響を受けながら、天の意思によって生かされているのです。

そのような存在であることが理解できれば、おのずと〝生かされている〟ことへの感謝と、喜びが生まれてきます。
喜びがあるということは、満たされた気持ちがあるということであり、満たされた気持ちがあるということは、不満がない、恨みがない、不安がないということです。

このような気持ちを持つ自分になることができれば、ごく自然な気持ちの発露として、他の人のために役立ちたいと思うようになってきます。
人間は本来、そのような気持ちを持って生まれているのですが、自我のほうが成長してしまい、自分のためばかりを思うようになったのです。

人のために役立つとは、他の人が真の幸福を取り戻すために役立つということです。それは具体的には、自分の喜びを他の人に分け与えるという行為となって表れます。もちろん、その行為には打算があっては意味がありません。見返りも何も求めず、ただ人を喜ばせてあげたいという純粋な気持ちで行うことです。

そして、その人の喜びを、自分の喜びとして本当に喜べることができたら、そのとき、初めて自分にとっての〝本当の幸福〟が実現するのです。
このような気持ちを、具体的な行動で表すことができると、人間として、〝最高の魅力〟を備えることができるのです。

さて、そのような気持ちを持つことができるでしょうか。自分中心で、何事も利害で考える人には、もちろん不可能です。自分の悩みで精いっぱいだから人のことなんか構っていられないという人にも無理でしょう。しかし、最初はそうであっても、これまでに述べたような自分の魅力が表れてくるうちに、そのような人ほど、「人を喜ばさずにはいられない人」に変わっていくのです。

それは、自分を覆っている殻が固くて厚い人ほど、その殻が破れたときに、内から表れてくる〝自分の魅力〟の素晴らしさを知ることになるからです。




匿名希望

安定が実は苦痛 優秀なのに大企業を辞めた若手の本音

以下(リンク

■辞める若手の属性が変化している
若手が3年で3割辞める(大企業なら1割未満)、という事実が昔から変わらないとして、それが問題になりはじめたのはなぜでしょう?

理由はとても簡単です。

昔は、「不満を持った人」が3年で辞めることが多かったのです。

入社してみたものの、どうも会社にあわない。学生気分が抜けないということもあるでしょうし、社会人としての生活になじめないという人もいました。またそもそもやりたい仕事ではなかった、ということに気づいた場合もあります。そんな人が辞める場合には、会社もそれほど残念に思いませんでした。むしろ「こらえ性の無い若手が辞めてくれてラッキーだった」と公言することすらありました。

辞める人も会社の評判サイトに悪口を書き連ねたりしていましたので、それらのサイトを見ればおおよその社内事情も見えてきます。だから間違って入社してしまうことも減るでしょう。

優秀な人が去る会社の評判は決して悪くないが…
しかし近年目立つのは「期待されている人」が辞めることです。

例えばインフラ企業に入社し将来の役員候補と目されていた優秀な若手が入社1年で辞めた例があります。大手メーカーで入社時点から研究開発テーマを与えられていた有望な研究者が入社後半年で辞めてしまった例もあります。

そんな彼らは、辞めるときに不満を言いません。むしろとても良い会社に参画させてもらった、と感謝を口にしながら辞めてゆきます。会社の評判サイトにももちろん「良いこと」ばかりを書いています。

皆さんの周りでも、期待されているのにあえて転職していく友人や知人がたまにいるのではないでしょうか。

さて、ではこのような会社は良い会社だと考えてよいのでしょうか。

人事部門から制度と運用の実情を確認していくと、必ずしも「良いこと」ばかりではない事情が見えてくることがあります。

任されるよりも尊敬できる相手が欲しい
B君は大手メーカーで期待され、多額の予算も用意された研究者でした。

けれども彼は転職するときに本音を語ってくれました。

「尊敬できる研究者と働きたかったんです。このメーカーならそんな人がいると思っていました。実際に優れた特許を取っている人も何人かいましたから」

だったらその人たちと一緒に働ける状況が良かったのでは、と尋ねたら彼は首をふりました。
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創造していくために生物の進化に学ぶ「進化思考」

今や仕事をするにしても、生活していくにしても答えのない時代。
そんな中で、私たちの一番の羅針盤になるのは何か。
それは、歴史、生物の進化、生命原理、自然の摂理などではないか。
だが、具体的にこれらが生きていくうえで、創造するうえでどのようにつながってくるのか。



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リンクより


「デザイン思考は、多様なアイデアを生み出すには良い方法だと思うが、最終的にどれくらい実現可能なアイデアが残るのか、疑問に感じている」とNOSIGNER代表の太刀川英輔氏は言う。デザイン思考の限界を乗り越えるものとして、生物の進化のプロセスに学ぶ独自の「進化思考」を提唱する。

生物は40億年をかけて多様な形態を生み出し、環境に適応してきました。この進化のプロセスでさまざまな形態が生み出されることと、デザインや発明でさまざまな形態が生み出されることの類似性を基に、どうすればイノベーションが起こるのか、起こせるのかを追求するのが進化思考です。

 生物の形態は周りとの関係によって決まります。周りの環境に最も適応したものが生き残る。そのために、例えばカエルはたくさんの卵を産み、少しずつ違った子供が生まれる。その中でどれが生き残るかは周囲との関係によって決まる。そしてそれを何世代にもわたって繰り返します。変異によってトライして、関係によって淘汰する。この「変異─関係─変異─関係……」を繰り返すことで、少しずつ形態が進化するのです。

生物は周りの環境に最も適応したものが生き残る。変異によってトライして、周囲との関係によって淘汰される。そしてそれを何世代にもわたって繰り返す人間が作り出すモノの進化も、同様のプロセスで説明できるというのが「進化思考」の考えだ


 こうしたプロセスは発明でもイノベーションでも起こることだと思いました。イノベーションについて語るときに、「○○の進化」といった言い回しをよく使います。それは生物の進化とイノベーションに強い類似性があるからでしょう。
その類似性に焦点を当てたときに、文化進化的な概念としては、かねて、いろいろな人が提唱していますが、それを手法化しているケースはほとんどありません。進化のプロセスを再利用してイノベーションに使えるようにしようというのが進化思考なのです。

 関係性を理解するというのは、ビジネスの現場では知識を身に付けるということに近いかもしれません。ある企業にしばらくいると、その業界の常識とかクライアントの傾向とかが分かってくる。そうして関係性ばかり学ぶと、変異できなくなる。スクリーニングで弾かれそうなイレギュラーなものは最初から生まないようになってしまう。一方で、新入社員などは関係性が分かっていないから、特異なアイデアは出るけれども通過しません。だから諦めてしまう。だったらその両方を身に付ければいい。おそらく、優れた発明家やデザイナーはその両方を1人で切り替えてできる人たちだと思います。

 「関係─変異」が最終的にどのようにデザインに結び付くのかを概念的に示すことができます。
関係というのは暗闇の中にある領域を設定するようなものです。
内外を分別し、スクリーニングや淘汰する役割を持つ。
そうした関係の領域をいくつも描いて、その上に変異というダーツを投げていく。
的を射たものもあれば見当はずれなものもある。そうしてたくさんの変異の中から淘汰されたものだけを集めると、あるべき姿が見えてきます。
この状態が良いと分かったときに、「それを何と呼ぶか」と、言葉や概念にして示すのがコンセプト作りだと思います。そして、そのコンセプトを最小の形で最大の関係を発揮できるように設計するのがデザインの役割でしょう。



稲垣佑果子

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