農と高齢者の知恵を活かして、地域に暮らしの作法を伝承していく【地域交流サロン「ばあちゃんち」】

高齢者の役割づくり、子どもの育成方法、地域活性化、社会に役立つ仕事づくりなど、今後の社会を考える上で重要な課題がたくさんありますが、これに可能性を示した事例があります☆

1人暮らしの高齢者の家を、地域交流サロンとして利用。そこは広く地域に開放されており、高齢者、子どもが、いつでも集まります。
高齢者は、親が仕事に行っている間、子どもの面倒を見ています。子どもとおしゃべりしたり、それを通して地域の伝統を伝えます。それが実現できるのも、隣にある畑(農業)があるからです。
地域交流サロンのみんなで野菜を育て、その野菜を元に、伝統食や家事を伝えていっています。そして、その野菜の売上費用を、交流サロンの活動費に企てお金を地域活性化のために循環させています。

これはまさに活力再生事業であり、高齢者も、子どもも、地域も元気になっていく☆仕組みづくりとして、ぜひ真似していきたいですね!

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「暮らしの作法を伝承する 地域交流サロン「ばあちゃんち」(子育て支援事例集)」リンク

■1人暮らしの高齢者の家の一部を地域交流サロンに
地域交流サロン「ばあちゃんち」は、1人暮らしの高齢者の家の一部を活用して運営されている。築100年以上を経た熊本地方の典型的な民家で、納屋や井戸などを備え、家の間取りは「田の字形」をしており、襖をはずせば広い座敷になるのが特徴。玄関を一歩入ると、土の土間がひろがり、左手には昔懐かしい縁側がある。
この「ばあちゃんち」は、子どもから高齢者まで、地域の多くの人が気軽に集い交流する中で、地域の食や暮らしをトータルに学んでいけるような「地域の大きな家」になることを願い、平成17年10月に開設された。

■子育て支援と、食育の融合した事業
まず、2001年に「植木町子育て応援団」が子育て支援センター、民生委員、小学校、PTA、保育園保護者会等により結成され、熊本県の「子育て応援団事業」の補助を受け、運営を行った。
子育て育成に加え、小学校、保育園連携の食育事業をコーディネートし、地域連携の中で、大豆や小麦の収穫、味噌や納豆の製造調理などを実施。運営ノウハウが蓄積されてきたことから、運営拡大のために、「ばあちゃんち」を設立した。

■生活の知恵を伝える「地域の台所」
「ばあちゃんち」は子育ての悩みを解消する憩いのスペースとしての機能だけではなく、生活の知恵を伝える「地域の台所」、地域に生きるための暮らしの作法を伝承する場というコンセプトがある。
「ばあちゃんち」には約5,000m2の畑があり、大豆や小麦をはじめ多くの農産物を生産している。今年の収穫量は大豆が約150kg、小麦が約200kgにのぼる。作物は、管理を地元の専業農家の方に協力・指導いただきながら、「ばあちゃんち」に訪れる親子やお年寄りによって育てられている。子どもたちは草を刈り、土をこね、何もない状態から、日々の世話を経て、食べるものを作るという体験をしていく。

子どもたちが収穫した大豆は地域の人と一緒に、昔ながらの方法で納豆、豆腐、みそ、きな粉に加工される。小麦は小麦粉にし、手打ちうどん、団子、てんぷらになる。干し柿・梅干・こんにゃくなどを作り、かまどでご飯を炊き、炭火で魚を焼く。子どもたちは、五感に訴える体験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得していく。「地域の台所」というのは、様々な活動体験を通して、地域の食と文化を継承していく場所をイメージしている。

地域の食と文化を継承しているのは、子どもたちだけではない。親もまた、体験の中で学んでいる。「ばあちゃんち」では、「暮らしの伝承塾」や「父ちゃんの出番塾」等で、親が生活していく知恵を養えるような取り組みを行っている。それぞれの講義は地域の熟練者たちが担当する。生活する技術を身につけることで、親の生きる自信を回復させたいとの考えがある。「ばあちゃんち」は子どもだけでなく、親も育てている。

■地域の共同性を育む場
「ばあちゃんち」が地域の人々とのコミュニケーションの場となり、孤立しがちな子育て期の親子にとって、大事な時間を提供している。
毎月第2水曜日に高齢者向けの行事「いきいきサロン」を開催することで、親子連れだけでなく、高齢者も気軽に立ち寄ることができるようになっている。子育てのロールモデルが身近にいることは親にとって心強く、子育て経験者から直に教わることで、親の育児不安が解消されていく。世代を超えた人とのつながりができ、温かい人間関係を築けるサロンになっている。

■生産(農産物の販売)によって、活動費を生み出す
「ばあちゃんち」は様々な生活の体験活動をとおして親子が共に育つことができる場となっており、暮らしの体験の共有により地域の共同性が培われている。生産された農産物や加工品は、毎月第3土曜日に開催される「くまちゃん市」(バザー)などで販売され、その余剰金を「ばあちゃんち」の運営費に当てている。子育て支援サービスの提供を受けている親子が、農産物や加工品の生産というサービスによって「ばあちゃんち」の活動経費を生み出している形になっており、できるだけ行政に頼らない活動が行われている。

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これからの企業や組織は、このような地域(みんな)の活力を再生していく事業を行っていくことで社会貢献していくことが重要なのではないでしょうか。


橋本宏  

エンゼル・カレッジ2012年の総括~自立とは「自ら役に立つ」こと

2012年4月にスタートした、大起エンゼルヘルプと類グループ社会事業部との協働企画、エンゼル・カレッジ(263247)。有志の集まりによって、介護業界の将来を支える人材育成を幹とし、介護理論の構築を目指して、日々の追求に取り組んできた。

福祉と言えば、今や全国民が必ず接する機会のある領域である一方で、何故か介護領域に関しては非常に社会とは切り離された空間のような扱いを受けている実態がある。

これは、社会的役割を失った高齢者を排出し続ける現在のシステム障害そのものに原因がある事は明らかであり、市場の生み出した問題を一方的に国家へ押し付けてきた事の弊害と言えよう。生産の枠組みから外れた人材がこのまま増え続ければ、湯水のごとく国家予算という名の借金を注ぎ込んだところで、結局そこからは何も生み出されないのである。

この実態に差す一点の光明こそが、自立支援という形態で有り、介護業界全般に期待されている事なのではないだろうか。とは言え、自立という解釈も一歩間違えれば、単に活力を奪うだけの結果にもなってしまう。これが、今福祉に携わる領域で実際に起こっている事だと、カレッジに取組む中で克明に見えてきたように思う。

自分で立つ。自力で生きる。多くの場合、この様な解釈で捉えられていると思われるが、これこそが根本的な誤りである事を認めなければならない。例えば、介護施設で一人の高齢者の生活を支えるために、その周りでどれだけ多くの家族や職員が関わっているか。いや、高齢者に関わらず、この社会で生きて行くという事は、常に人との関わり合いこそが大前提の条件として存在しているはずである。つまり、誰一人自分だけでは生きていないのが現実の世の中であり、だからこそ「自立」が求められるのです。

つまり、自立とは「自ら役に立つ」という解釈でなければ成らないと思うのです。これが、社会の中で【活きている】事の証でもあり、期待応合、そして感謝や謝罪を通じて共認充足を感じあえる根底条件です。現在、介護施設に入居されている高齢者の方々は、100%そのようにして生きてこられた方々でしょう。皆の役に立っていたからこそ、今でも生き続けようとしているのです。期待に応えたいと、今でも思い続けているはずです。その想いに応えて、僅かでも役割を担える日常を提供して行くこと。そこからしか、活力は生まれて来ません。

介護業界も、一方的に高齢者が増え続ける社会の中で随分と変わってきてはいます。管理では無く、支援。拘束では無く、見守り。しかし一方で、既に高齢者介護は施設だけでは賄い切れない状態になっており、ここ数十年の間に抜本的な改革に望まなければ、完全に破綻してしまいます。カレッジへの期待は、この様な現実の壁にぶつかりながら、答えを出していく事です。

ヒントになるのは、270983介護従事者の年齢層変化。つまり、縦の繋がりです。271386でも挙げられていますが、年齢ギャップは対応への迷いを生じさせる原因にも成り得ます。核家族化の中で育つ現在の若者が、いきなり高齢者と接する事自体に、大きなギャップが生まれるのは当然。しかし、その間を繋ぐことが出来れば、各自が媒体となる事で世代間交流も可能になります。そして、若者たちが今「役に立ちたい」と強く望んでいるように、高齢者であっても同じように「役に立ちたい」と思っています。だからこそ、世代の縦の繋がりを構築し、お互いに期待し応え合える環境を作り出していく事。

やはり、『共同体の再生』という所に実現基盤がある事は間違いないでしょう。一人(自分)では手に負えない、という現実の問題に対して乗り越えられる、唯一の基盤は、「みんなで立ち向かっていく」事です。

今年のカレッジ生達の生々しい状況報告のおかげで、今現在の壁が鮮明に見えてきました。そして、まさに介護業界を超えた所に、解決すべき道筋がある、という事が解りました。福祉問題は社会課題。だからこそ、介護現場の現実を開き出し、周りを巻き込みながら当事者を増やして、共認充足の可能性を更に拡げていきたい。目先の課題も大事ですが、その先に大きな充足イメージを抱きながら、共に前進して行きましょう!



川井孝浩
 

手を動かそう。

「世代交代」という言葉をよく耳にするようになった。わたし自身が交代する側に足をつっこみつつあるからだろうか、交代する側のひとのふるまいが、特に目につくようになってきた。

ゆっくりと徐々に年を重ねていくひと、びっくりするほど急速に「老いた」というひと。

前者は、集団における自らの役割=みんなの期待を心得て、みんなから頼りにされ、敬服され、と同時に周りに受け入れられながら、いずれは誰もが迎える年長者としてのあるべき姿を示してくれている。仕事もペースダウンはありつつも、着実に期待以上の成果を上げてくれている。

後者は、外からの印象とはウラハラに、自らの「老い」に対する自覚が乏しく、であるがゆえに、過去の成功体験と照らし合わせて「こんなはずではない」と現実を受け入れられず、自己弁明( ≒他者否定)のみが先行して、いつまでも周りとすり合わない。そして、現実的には、仕事の成果不良が隠せなくなっている。

前者と後者を分かつものはなにか?生い立ちの違い、性格の違い、認識力の違い、いろんな要素が合わさっているのだろうが、周りを見渡してみて、あることに気がついた。

「手を動かすひとは強い」。

書くこと、(ものを)つくること、PCを駆使すること。

ひとくちに「手を動かす」と言っても、そのあり方は職種によってさまざま。ただ、それを、年老いても、組織のエライさんになっても、ずっと続けているひとは強い。類型すると圧倒的に前者型なのだ。

手書きのレジメ、毎日の日報書き、打合せ後すぐの議事録、ひとに指示するための与件書・指示書の作成、そして製図。

やろうと思えば口頭で済ますこともできるけれど、まず、自らの手で営々とつくりあげていく。この、一見、孤独で地道な作業を積み重ねてきたひとは現実世界の住人、年はとっても、何を成しても、いつも鮮度が高い。おそらく、それは、そのつくりあげる過程で、周り(お客さんであったり、部下であったり、仲間であったり、社会全体であったり)の意識に同化し続けてきた証なのだろう。

逆に、なまじ20代~30代前半の若さで重要なポジションに抜擢されたひとは、「口頭で指示を出す」「ひとがつくったものをチェックする」「ひとかどの者として朗々と説明する」ということが常態化してしまい、気は焦っても全く手が動かず、結果として、まわりとすりあわなくなっているケースが多い。過去の栄光(私権時代の幻想?)が華々しいだけに、劣化の著しさが目立つ。

考えてみれば、絵描きやものづくり職人は比較的長寿で、死ぬまで現役、というひとが多い。ずっと手を動かし続けているから、こころ( ≒存在)が安定しているのだろう。

今からでも遅くない。せっせと手を動かそう。



阿部佳容子
 
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