市場社会とは、人間がダメになるシステム

> また、重度の痴呆や奇行が止まずに特別養護老人ホームへ入ってきた人が、共同生活の中で役割を受け持つと全く症状が出なくなったり、奇行がおさまったりしたという話も新聞等で幾度か目にしたことがあります。
> 幼い頃から、そして老いても、つまり一生ずっと人と接する環境というのは人間にとって非常に大切なものなのでしょう。


 おっしゃるとうりだと思います。
 実際、痴呆という症状は、近代家族=核家族、サラリーマン家族が増大するにつれて、社会問題化してきています。

◆今の家族制度は市場経済社会のメカニズムを前提にしている

 どういうことかというと、今の家族制度は近代社会=市場経済社会のメカニズムを前提にしているから、こういうことになるんだと思うんです。

 つまり、人間が個人を単位にして、労働力を売ることで生きていくという様式があって、それを維持するためのシステムとして、今の家族制度ができたと。

 だから、学校教育なども、こういうシステムに適合する人間を作ることに主眼がおかれています。
 今の家庭というのは、現在の社会構造を維持延命するための構成要素を再生産する場、と定義できるでしょう。

◆「サービス業が繁栄する」とは、人間存在が壊れているということ

 20世紀ではサービス業というものが大変発展しました。

 でも、このサービスというものは、ある日、突然降って湧いたりして出来たニーズではないんです。もともと、みんな誰しもが、やっていたことなんです。
 つまり、市場経済の社会では、人間の役割や能力、関係性というものをどんどん分解して、部分ごとに商品として切り売りする、それが産業であり、豊かさなんだ、経済の発展なんだ、という考え方をします。

 しかし、これがおかしいのは、そもそも人間の役割や能力を分解したりすることによって、実は人間の存在性を根本的に崩しているのではないか、ということです。
 痴呆も、もともと人間に備わっていた、関係世界や役割などの存在の条件を奪ってしまったことの結果と考えられます。

 逆に言えば、こういう社会の中で暮らしている限り、人はどんどん狂っていくし、ボケていくということなんです。

 市場社会とは、人間がダメになるシステムであるということが言えるかもしれません。


阪本剛

未熟な老人

 近所の子ども達を集めての野球チームが、練習場を求めて市のグランドを借りた時の話。

 その日は3時から、ということでグランドに行くと、
そこではご老人方がゲートボールを楽しんでおられた。
お天気もいいし、それはそれで微笑ましい光景と目には映るんですが、
3時になっても引き上げない。
あらら、と思って声をかけてみると
「お前ら老人の唯一の楽しみを取り上げるんかい」とすごい剣幕。
周りにいたご老人方も歩み寄ってきて、
「子どもはどこでも遊べる」やら
「下手くそがこんないいグランド使うな」
「ワシらの生きがいを取り上げて、死ねッちゅうんかい」と
スティックを肩に担いでまるで百姓一揆。
ひとりで子ども達を連れて行ったお母さんはタジタジだったそうな。

 何でこうなるんでしょうねぇ。
 核家族化は若い世代だけの未熟な家庭を作り、さまざまな問題の原因となっているというのは、これまでもこの会議室でよくいわれてきたことですが、核家族形成のためには、自分達が家を出るか親のほうに出て行ってもらうかといった現実の選択があります。多くは若い者が結婚して離れて暮らすというパターンで、これ自体が当たり前のように選択されていますが、時代をさかのぼれば決して当たり前ではなかったことです。
 そのまま年月が経ち、形成される高齢者世帯はこれからも増えていくのでしょうが、彼らもまた、これまでになかった異常な家族形態をとっているという点では、「核家族問題」同様の病理が潜んでいるように思えます。世代間の断絶とは、言い古された言葉ですが、物理的に離れた中での生活は、どんどんその溝を深くしていくばかりで、どちらにも「次の世代に引き継ぐ」とか「次の世代を育てる」といった課題はなさそうです。考え方の違いからか若い親からの「親とは一緒に暮らせない」とはよく聞くセリフですが、その親のほうも「若いモンは若いモン同士で」と言いつつ、そこに何を求めているのか。多くのご老人たちにも「課題がない」のは共通しているように思えます。
 以前の大家族にはなかった問題として、未熟な核家族家庭の陰に隠れて、未熟な高齢者家庭というのもあるのではないかなと考えさせられました。





松下直城

既存枠の外側の現実を見て

私権社会において私権追求から脱却するのは困難です。
短期的視点では、私権追求を止めなかった企業の方が表面的には勝ったように見えますから。
私権レースの真っ最中には周りはなかなか見えないようです。

しかし、このレース自体が衰退してきた昨今は、世間では大問題のようにとらえられることが多いですが、かなりのチャンスではないかと感じます。

レースをしながら何かおかしさを感じる、けどこのレースを止めてどうすればいいのかわからないからとりあえず続けている、という企業が大半になってきているのではないでしょうか。

私権追求に没頭していた人が定年退職して、急に周りが見え始めて今まで見向きもしなかった地域活動などに精力的になり、生き生きしはじめたという話もよく聞きます。
こうした人々は、定年退職というきっかけで永峰さんの言われる「今まで切り捨ててきたモノ(私権枠を越えた役割)」をようやく見つけられたのでしょう。

これは企業でも同じことが言えると思います。今までは私権枠の外と言うことで否定してきたモノにしっかり目を向け、現実を受け止めることが企業を、そして地域を再生するには不可欠でしょう。



西村秀彦

西村秀彦
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