個人主義と就業保証

 高齢者の雇用を巡る年齢制限についての見解を簡単に述べておきたい。
続きを読む

定年制について思う事・・・。

定年制に関する数々の投稿を読ませて頂きました。私の家は自営業を営んでおりますが、その立場から言うと定年制廃止には賛成です。
私の祖父は現在84歳になりますが、今でもお店に出ています(さすがに配達はしませんが)。祖父が何故、あまり自由の利かない体にむち打ってお店に出るかといえば、昔からの付き合いのあるお得意様が来店してくださる事もありますが、自分の「役割」をどこかに求めているのだと思います。
祖父は、祖母が亡くなる前から料理や掃除もしなかったため、今はそれも母頼みです。これで、長年続けてきた自分の仕事をしなくなった日には祖父は家族の中でどんな役割を果たすのでしょうか。「もう充分働いてきたから、後は余生を楽しんでください」でいいのでしょうか。祖父がそれをしないのはやはり自分の「役割」がないことへの恐怖でしょうか。自分の存在に誰も何も「期待」しないこと、存在が宙の彷徨ってしまう状態への恐怖でしょうか。

1769の松本さんがおっしゃるように
>お年寄りが欲しがっているのは、お金ではなく自分の意味。
だと、私も思います。「役割」「自分の意味」を見つける事のできる定年制廃止には賛成です。

只、私権(お金や地位)に縋りついて、定年後も企業や政界に棲みついて、これから伸びようとする若い芽を潰すのなら反対です。
私の住む町ではお年寄りが駅前の自転車無断駐車の取り締まり、町の清掃(ゴミ拾い)をしています。自分が培ってきた技術や知識が100%発揮できなくても社会の中で果たせる「役割」は沢山あると思います。企業や政界の中だけでなく自分が体得したものをお年寄りが生かせる場、「役割」を果たせる場をもっと作っていく必要があると思います。それも一つの福祉政策でしょうか。


たなかはじめ 

存在の意味とボケ

定年制の廃止 木橋さん
>“手を動かし続ける”ことが呆け防止に繋がるという。“手を動かし続ける”というのは、“仕事をし続ける”ということである。仕事は、皆との関係の中で成立しており、皆の期待に応えることで成立する。皆の期待がなくなったとき、それは親父のようになってしまうのだろう。

卑近な例で恐縮ですが、私の祖母が木橋さんのお父様と同じような状態です。

私の祖父(祖母の夫)はもう7年も前に亡くなっていますが、彼は周囲に迷惑をかけることでは人一倍才能のある人でした。人の上にいることを当然のように、いえ当たり前のことだと思っている人で、そんな祖父に祖母はいつも気を使い世話をしていました。その祖父の死後、祖母は昔を懐かしむような言動が増えました。しかしそのころ私はまだ中学生、妹は小学生で、まだ手のかかる年でした。でもそれから7年、私は実家を遠く離れて大阪で就職、妹達も社会人3年目で頑張っています。そして祖母は急激にボケていきました。

「手を動かしつづける」とか「指先を使っているとボケない」とか小手先のいわば技術だけでボケは防げるものでしょうか。祖母は祖父の死、孫の独り立ちによって自分の役割(それは重荷とも言うことが出来ます)が一つ一つ消えていくのを感じていたのでしょう。人間にとって最も恐ろしいことは自分の存在に意味がないことです。それはつまり、誰も自分に何も期待しないということです。祖母は自分に対する期待が薄れていくごとに、自分という体機能を手放していってしまったのでしょう。

お年寄りが欲しているのは、お金ではなく自分の意味だろうと思います。そして老人ホームのようにお年寄りとその介護人だけのような人種の限られた社会ではなく、若年から老年までが生きる社会でこそ意味(重荷)は見出されるものでしょう。

お百姓さん 
ランキング
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ

ギャラリー