定年制の廃止 木橋さん
>“手を動かし続ける”ことが呆け防止に繋がるという。“手を動かし続ける”というのは、“仕事をし続ける”ということである。仕事は、皆との関係の中で成立しており、皆の期待に応えることで成立する。皆の期待がなくなったとき、それは親父のようになってしまうのだろう。

卑近な例で恐縮ですが、私の祖母が木橋さんのお父様と同じような状態です。

私の祖父(祖母の夫)はもう7年も前に亡くなっていますが、彼は周囲に迷惑をかけることでは人一倍才能のある人でした。人の上にいることを当然のように、いえ当たり前のことだと思っている人で、そんな祖父に祖母はいつも気を使い世話をしていました。その祖父の死後、祖母は昔を懐かしむような言動が増えました。しかしそのころ私はまだ中学生、妹は小学生で、まだ手のかかる年でした。でもそれから7年、私は実家を遠く離れて大阪で就職、妹達も社会人3年目で頑張っています。そして祖母は急激にボケていきました。

「手を動かしつづける」とか「指先を使っているとボケない」とか小手先のいわば技術だけでボケは防げるものでしょうか。祖母は祖父の死、孫の独り立ちによって自分の役割(それは重荷とも言うことが出来ます)が一つ一つ消えていくのを感じていたのでしょう。人間にとって最も恐ろしいことは自分の存在に意味がないことです。それはつまり、誰も自分に何も期待しないということです。祖母は自分に対する期待が薄れていくごとに、自分という体機能を手放していってしまったのでしょう。

お年寄りが欲しているのは、お金ではなく自分の意味だろうと思います。そして老人ホームのようにお年寄りとその介護人だけのような人種の限られた社会ではなく、若年から老年までが生きる社会でこそ意味(重荷)は見出されるものでしょう。

お百姓さん