皆様、はじめまして。
ちょっと思うところありましたので投稿します。

先日親父が定年退職をむかえた。62歳の親父は端から見てもまだ若い。まだまだ十分に現役でやっていける。恐らく、何故に現役を退かなければならないのかと当の本人が一番そう思っているのではないだろうか?(口には出さないが…。)

親父はこれまでサラリーマンとして1つの企業に身をうずめてきた。学歴重視の私権社会の真っ只中、大学も出ていない親父は、明らかに自分より格下の者が自分を追い越して出世していく後輩達の姿を目の当たりにしてきた。私権社会ではごく当たり前。良く聞く話である。しかしやはり、この不当な現実には親父も相当の葛藤があったらしい。物心ついた私に母から聞かされたことがある。

だいたい、大学4年の卒業一歩手前で中退することを決めたのは当の親父本人なのに…。当時から私権社会に対して疑問を抱いて親父は意図的に大学を辞めた。『私権社会へのおろかな挑戦』と私は勝手に捉えている。当時、演劇部の部長をやっていたと言う話しなどを聞くと反体制的思想をもっていたのではないか?(親父から直接話しを聞いたことがないので真相はわからないが…。)

私は親父から『教育』らしき言葉を聞いた記憶がほとんどない。「あーしろ。こーしろ。」と口煩くはないが、何処か怖く近寄りがたい。母は親父を『放任』と言うが、私自身はあまり『放任』された感がない。言葉は少ないが、十分に背中で語られていた。
そんな親父から唯一思い出される言葉と言えば「友達は大切にしろ!」というもの。私がガキの頃から何度となく受けた言葉だ。当時の私はあまりの当たり前の言葉に深く考えたことはなかった。私権社会の中、苦しみながらも得られた解答(第一価値)が『仲間=人と人との信頼関係の大切さ』だったのだろう。そこだけは、教えておきたかったんじゃないだろうか?今になって、その言葉の意味するところがわかってきたような気がする。

定年退職をむかえた親父に、今後はどうするつもりかと聞いたところ、『便利屋』をやっていきたいとの返事が返ってきた。なるほど。親父の考えていることがなんとなく理解できた。地域に密着して、お困りの人達に応えて、喜んでもらいたいのだろう。人と人との信頼関係をリアルに感じられる仕事をしていきたいのだろう。要するに、ある期待に対し直接応えていく喜びを生活の糧としていきたいのだろう。

現代は親父が戦ってきた私権社会とは明らかに様相が変わってきている。学歴重視なんて言葉も死語になりつつある。私権という価値軸が弱まりつつある中、新たな価値軸も今だ見えず社会は混迷していると捉えていいだろう。しかし、親父が考えているような仕事(生活)も今では珍しくない。(最近の若者の意識潮流と比べても差して変わらないように思う。)

新たな価値軸。それは、親父に追い風をもたらすか?逆か?追い風の一部を親父が担えるよう、これからもがんばってもらいたい。




河村雅博