まずは、私の愛読書、「さまよえる日本人の魂」の中から、非常に感銘を覚えた文を紹介します。
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今、科学的な知識や情報をたくさんもっているわれわれは、「遺伝子の不死」なんていう言葉でいっているけれども、それは、古代の人々が魂は死なないと考えていたのと、同じことかもしれない。 私も孫ができてから痛切にそれを感じます。 どうしてこんなにおじいちゃんに、それも悪いところばかり似ているのかと思う。 整理整頓はできないし、…(中略)… 学校でも、五年生にもなるのに、授業を聞いていないとよく先生に注意される。 それでも結構成績はいいらしいのだけれども。悪いところを教えたわけでもないのに、 孫のしていることを見ていると、そんなふうになっている。 やはり遺伝子なんでしょう。そういうふうに人間はできているんです。 昔なら、おじいちゃんはとっくに亡くなっていただろうから、そういう孫が生まれてきたら、 「この子はおじいちゃんの生まれ変わり」といったに違いない。 この「生まれ変わり」というのは、遺伝子の秘密を直感したいい方だったと思います。
 
そのように考えると、個人を絶対化する考え方が、いかに人間の生命の法則に矛盾しているかが見えてくる。 デカルトのように、「我思う、故に我あり」の「我」だけが確実で、 そこから一切の哲学が出発するというのでは、やはりまずい。 自分の中には、生命というものが誕生して以来の生命があり、 そしてこれは未来永劫の生命につながっているのだという自覚が必要なんです。 それを倫理の根底に置くべきだと思います。
 
デカルトは彼の小さな部屋で、近代哲学の始まりを告げる「我思う、故に我あり」という言葉をつくり出したけれども、 私は孫と故郷の田舎へ行って、そこの自然の中で新しい哲学の原理を考えた。 孫は、山へ行って蝉をとり、海へ行ってイソギンチャクと遊んだ。 その蝉は六十年前に私がとった蝉の何十代めかの子孫であろうし、 そのイソギンチャクも私が遊んだイソギンチャクの何十代めかの子孫であろう。 かつて子供の私が蝉やイソギンチャクとの出会いを喜んだように、 また孫がその子孫のイソギンチャクとの出会いを喜ぶ。 人間と自然の出会いが永遠に循環する。
人間は自然に出会い、また次の人間も同じように自然に出会い、 そういうことが永遠に繰り返されていくのです。
それが生命の本質ということになるのではないでしょうか。
昔の人々には、そのことが直感的にわかっていたのだと思います。
 
われわれはそこに、もう一度この人間と自然の出会いの原点にかえって、 新しい哲学の体系を生み出さなければいけないのです。(梅原猛)

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現代を生きる我々に欠けているのは、この著者の述べるような、「生命の本質」への「感謝」であると思います。
人は、人との関わりの中、あらゆる生命との関わりの中で生きている、「生かされて」いる 。そしてその繋がりは時を越えて未来へと紡がれていく。そのことに感謝することを忘れ、こだわり続ける「我」に一体どれほどの価値があると言うのでしょうか。 こだわりつづける「価値観」や「観念」にどれほどの意味があるのでしょうか。

ネイティブ・アメリカンの言葉に
「朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、感謝することだ。 どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それは、おまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。」
というものがあります。

この理由のわからない我々は、やはり「生命の本質」を忘れているのでしょう。 疑いなく「感謝」できるようになることが、氏の仰る「自分の心を奇麗にする」ということであると私は思います。そして、この心からの「感謝」ができるようになれば、必然的に「自我」なるものは姿を潜めていくのではないかと考えます。(完全に消失するかどうかは確かに未明ですが)

いきなり、「自我」を封鎖や制御しようとしても、無理な話であると思います。 これまで議論されてきたように、「自我」は他者否定・自己正当化の構造です。 その「自我」を力づくで封鎖しようとすれば、そこに断層が生じて当然でしょう。 封鎖や制御する方法を考えるのではなく、まずは一つ一つの事象に「感謝」=肯定視していくことから始める、まずはそこからだと思います。

自我を、あって当然のものと諦めるのではなく、制御しようと苦心するのでもない 、その自分自身の自我を認識した上で、 集まった集団内における、一つ一つの関係に感謝し、肯定視していく。 これが、本当の意味での「共同体」を構築していく第1歩であると私は考えるのです。




西谷文宏