最近ますますオジさん(概ね40代以上)の話が面白くなくて、接していて苦しくなることが多い。困ったことに、オジさんが構造認識を語っていたとしてもそうなのだ・・・

若手相手に認識を語るその姿は(今までとは形の変化した)説教とか愚痴にしか聞こえないことが多い。その時オジさんは結構力が入っていたり、悦にいってたりするので余計に壁ができてしまう。

また、オジさんは結構認識営業(認識を語ること)が好きだ。なにかとても充足している風でもあり、そこそここちらも楽しかったりはするのだが、心には響かない。楽しげだし活力はでてるので、さまたげる雰囲気にならないから、いつまでも変わらない。初めは良かったが、今は新たな壁を前にしてしまったような感覚に陥っている。

オジさんの語る構造認識は例え中身は正しくても、共認が図られないのだ。大抵、一方通行で、押しつけ的で、思いこみ的で、周り(の気持ちや心)が見えていない。勿論、中身には共認出来るのだが、みんなの活力に結びつかない。構造認識によって疲弊させられるのはなんとも堪らない。

オジさんの共認回路や実現回路は一体どうなっているのだろう?

>思考次元1 潜在思念の実践思考
>これは、原始人以来の(動物にも備わっている)本源的な思考様式で、主に、感応(本能⇒共認)回路をもって現実を対象化し、答え=可能性を模索する。
>生命体の認識機能には、食欲や性欲etcの欠乏を感じる内識機能と、それを充たす為の視聴覚をはじめとする外識機能がある。答えとは、課題の実現経路であり、実現経路とはこの内部意識と外部認識がイコールで結ばれた回路である。
>答えを発見すると同時に全主体(=感応回路)はそこ(=実現経路)に可能性収束するが、それはある開かれた(=答えを見出した)欠乏意識とある開かれた対象認識がイコールで結ばれて共に強化される過程=その実現経路が強化される過程=その様な主体(実現回路)が強化・形成される過程である。
>従って、欠乏意識(内的認識機能)と状況認識(外的認識機能)を結ぶ実現回路こそ主体の中核(先端主体)であり、この実現回路こそ思考の先端中枢である。(19059)

>注:人類の場合、当然、観念回路も使われているが、健全な実践思考では、主に状況認識を整序する為に観念が使われている。つまり、潜在思念(その先端の実現回路)によって整序された実践的な構造観念である。
>逆に感応観念は、(次の2で明らかにするが)欠乏意識・課題意識をも状況認識をも共に歪曲し、極めて不健全な思考回路を形成する。

オジさんの頭の中は、感応観念化しているのではないだろうか?構造認識を感応観念で捉えてはいまいか?

>現実に可能性が閉ざされ(or答えを発見できず)現実に対する強い否定回路が形成されている(従って、実現回路が貧弱である)場合、否定意識は捨揚回路(-捨象+収束の回路)に収束して、何らかの+幻想を生み出し、そこに先端収束する。しかし不鮮明な潜在幻想では意識を統合できないので+幻想は観念化されて感応観念(価値観念や規範観念)を作り出し、この感応観念の下に全意識を統合しようとする。
>その際に考えるのは、どの言葉・物語が感応回路に響く(充足する)か、そして人々に共認されるかであり、その限りで状況認識や実現回路も貧しいながら作動している。しかし、この思考回路の主軸を成しているのは、現実を捨象した否定回路・感応回路であり、現実を対象化するのではなく、ひたすら内部意識を模索して観念化する倒錯思考の回路である。

>その上、いったん否定回路⇒感応観念に収束して終うと、そこから脱け出せなくなる。従って、例え頭で感応観念を否定して構造認識に向かったとしても、否定意識とプラス幻想という思考の動力源が同じなので、偏り誤った(=現実からズレた)、従って実現の役に立たない構造認識しか生み出せない。

>概ねこれが、現代知識人の思考様式である。

オジさんは現実(対象)を捉えられていないのではないだろうか?無意識に内部意識を模索して、観念化していないか?観念化した頭で構造認識を語ってはいまいか?構造認識を語ることで、他の課題や対象を捨象してはいまいか?

>○現実を対象化する=思考する=追求する(探索し、可能性収束=統合する)
>☆近代風に、創造する、追求する、主張するという在り様そのものが、おかしいのでは?それ自体が近代パラダイムでは?
>☆大切なのは、現実を対象化すること。それが、思考する(=探索し、可能性収束して統合する)ことの全てである。(7244)

現実とはみんなの意識であり、現実(=みんな)を対象化することが思考するということであり、実現するということに他ならない。改めてみんなの意識を対象化することから始めてみてはどうだろうか。答えはみんなの中にある。



沼田竜一