最近になって、久しぶりに会う人が増えました。今日お会いした人は、約十年ぶりに来てくださった不動産屋さんで、T市に良い物件が出たので先生の教室向けにいかがでしょうか?と誘ってくれました。

彼は、約十年前に倒産した大手不動産会社の老兵で、会社が倒産しても別の会社ですぐに採用してもらえたという意味ではプロです。十年ぶりに偶然思い出してくださったのか、それとも時折思い出してくれていたのかは分かりませんが、彼自身は後者だと言ってくれました。

現在78歳。太平洋戦争では、航空隊所属だったそうで台湾で終戦を迎えたのだそうです。終戦間際の米軍による機銃掃射と亜熱帯気候でのマラリアが恐かったそうで、終戦後の中国国民政府による捕虜生活では食事は河川敷を開墾しての自給自足を経験し、一年半後に帰国したそうです。

いろんな苦労をされたわけですが、自分以上に大変だったシベリア抑留者の手記を読んでからは、自分の幸運に感謝し続ける毎日だそうです。20歳からの第二の人生では、三条市ということもあり、金物卸商(北海道担当)をやりながら出張のための電車の中で勉強し宅建の資格を取り、60歳になって金物卸引退と同時に大手不動産会社に就職、会社倒産→再就職を経て、今日に至るのですが、その間も75歳で大学の単位聴講生として学ぶなど、かなりアグレッシブな勉強家であると思いました。

塾のホワイトボードに書かれていた数学の授業の∑記号を「シグマ」と読み、旧制中学校時代を懐かしがっていられました。そんな彼の目が一瞬輝いたのですが、それは、

「ねえ、Nさん。この塾は変な塾でして、世直しする人が集まる塾なんですよ。」と私が言ったときでした。

世直しという言葉にそんなインパクトがあるの?と日常的に多用していた私はそのことにやや鈍感になっていたようで、勉強を続けてきた人にはかなり衝撃的、らしいのです。

「それで、そういう志の高い人を教えるのは難しいので、私自身はインターネットの会議室に参加して勉強しているんですよ。メンバーの投稿した論文を読み、自分も投稿します。そういうことを何百となく繰り返してだんだん分かるようになってきました。」

Nさんの目がさらに輝きだす。と、彼はこう言いました。

「そうすれば他に何もしなくても自然に頭が良くなりますね。」

「と、私もそう思います。」

もちろん、全く何もしないという意味ではなくて、たんなる読書や大学での講義、下手をすると現場の仕事をしているだけでは得られない、生きた知識=認識を自然に得られるという意味だと思います。

また、むしろNさんの言いたかったのは、そういう場がないからわざわざ読書をし、新聞を読み、大学に通ったのだということでした。

Nさんは、戦時中のこと、その後の第二の人生のこと、そこから自分なりに得た認識を久しぶりに他人(私)に伝えました。

「Nさんも投稿してみてください。」と言うと、彼からはこんなお返事が。

「ありがとうございます。」

私にとってかなり大きな意味を持つお礼の言葉でした。人はやはり認識を受け取ったり伝えたりして生きている、その場があればもっとイキイキと生きていけるのだな、そしてそのことに年齢や職業は関係ないと、深く勉強させられました。

長くなりましたが、卸商にしても、不動産業にしても、対象に深く同化して答えや情報を供給する仕事です。共認機能で学んで体で稼ぐ、体で学んで共認機能で稼ぐ、が両立しているような気がします。ただそれが、みんなのための共認になるためには、共認形成の場が必要であり、その必要の中に高齢者の新しい役割が見出せるのではないかと思いました。





佐藤英幸