>常に周りの対象にまっすぐ同化し、同化対象がなくなるととんでもない不安にかられる。そしてまた同化対象を見つけることで心は充足し、安定を取り戻す。


定年により会社を退職した場合について考えてみると、多くの人は、これからは第2の人生を楽しむんだ(謳歌するんだ)ということで、自分がやりたいことを、やりたいときだけ、ある時は一生懸命に、ある時は気の向くままに、誰にどうこう言われることなく、好き勝手に時間が使えることになると期待をする。しかし、実際それまで自分に与えられていた課題が無くなってしまうということは、つまり、同化対象がなくなってしまうことであり、共認機能を必要とする場が無くなってしまうということである。

周囲の人間は、さぞ有意義な人生なのであろうと羨ましがったりするものであるが、生きていく上で共認機能を必要とする人類にとってこういう生き方は危険であると見るべきではないのか。これでは第2の人生がこれまでと違って、好き勝手な生き方となってしまい、やりたい対象があるとはいうものの、自分でどうにでもコントロールできる。いつでも取捨選択可能な対象など、無いのも同然である。

人類は本能だけでは生きていくことができないがゆえに、周りの自然や同類を対象化し、それらに同化して、つまり共認機能を得て生きてきたのではなかったのか。
本能だけでは生きてゆくことができない人間が、退職後において共認を無視した生き方を選択するというのであれば、それは死ぬ時期を早めていくということを意味するのではないのか。

会社を退職した後の人生においても、年齢、能力に応じた課題を与えられることで、対象を得、それに同化し、充分に共認機能を駆使して、さらに磨きをかけていくことが本当に第2の人生を謳歌することになるのではないかと思う。





匿名希望