>例えば、もっと上の世代ならもっと私権を獲得するためにはどうしたらいいのか?について、もっと自分の頭を使って必死になって考えたし、仲間との関係でも、納得できないことがあると、言い争いをしてでも、相手が何を考えているのかを必死で探ろうとした。
>だから、自分の頭で必死になってモノを考えたことがあるのか?という言葉は若者にこそ、有効な言葉なのではないかと思った。(98914)

 トラブルや手詰まり感の原因分析は、①状況の読み誤りや戦略・体制の総括課題に終始して仕舞いがちだが、②当てにした人材の能力構造にまで踏み込まないと閉塞の真の原因が見えて来ない。だからスッキリ感が伴わず、闘う組織活力が再生されない。 それは投稿でも明らかな社会の意識潮流が劇的に変化を早め、仕事に懸かる外圧の中身が一変しだしたからであろう。(79803『新概念を使いこなせて、はじめて供給者になれる』) 近年、人(=潜在思念観念機能)の比重が格段に重くなって来ている様に感じる。同類闘争の外圧(課題)と(人の)活力源や与えられた武器(認識)に繋がらなければ、総括がスッキリしない。 

 従って投稿に在るように、「自分の頭でモノを考えて生きてきたかどうか?」、生き様が問われている。自分の頭でモノを考えてこなかった人は、観念的整序能力や探索能力が闘争圧力の身の丈に合わないから周りに失望を与える。社会を捨象し、観念機能を軽視した生き様では構造化の能力が身に付かず、同類闘争の圧力に耐えられないからだ。私権や私益の獲得の為、自己正当化の屁理屈の為のみに使った頭では、この転換期の課題圧力には通用しないからだ。

 例えば団塊の世代、反抗だけなら頭が空っぽでも出来た。自前で考えたことなど全く無い世代の代表が団塊世代だ。旺盛な私権活力と鋭敏な感度で闘って、自信を持って現実を整序してきた私権派も、実は頭を使って来たとは云い難い。

 潜在思念では新しい潮流が感受できても、有効な認識を言葉にする観念能力がついていかねば、自信は揺らいで出口が見えず、答えも出せない。総括の必要性の出所が、観念機能を使ってしか解明できない「収束不全」にあるからだ。このままでは通用しないことに気付いた中高年層も、自戒を込めて真剣に転換したいと思い出している。構造認識の吸収が「活力」と「観念機能」を再生させ、次代への同化能力を磨いてくれるからだ。



阿部紘