こんにちは。吉岡さん、皆さん。

安藤忠雄という建築家がいます。異色の経歴の持ち主で、メディアへの露出度も高いので、ご存知の方も多いことと思います。

彼が阪神大震災後まもなくの時期に、「震災直後の混乱した現地で、水汲みや片付けなどに働く子供達は意外に生きいきとしていた。」と述べた上で、「子供が自らの役割を発見し、それを果たす喜びを感じていたためである」との分析をしていました。

震災による既存の社会システムの完全な切断の中で、子供達が「自らの果たすべき役割を感じ取り、それを遂行することで喜びを感じていた」との事実は大変考えさせられるものです。

なぜなら、この事実は、「おおよそ全ての社会システムがストップしている中でも、子供は自らの役割を(勝手に)発見し得る」という事を意味し、更には「そうであれば、震災で切断された『社会システムなるもの』の存在意義は(少なくとも『教育』という文脈において)どこに見出し得るのか?」という問いを導くからです。
震災後の子供達の様子から、この問いに対しては、「そんなものは無い」としか答えられないのではないか、と考えています。

>今必要なのは、それら役割や期待が届いていない現状(自覚を押しつけられている現状)の何が問題か、そしてどうすれば解決するかという視点だと思います。

上記の事例から、「私達全てが、『その存在意義すら明確ではなくなっている社会システム』の内に生き、(望むと望まざるとに関わらず)その片棒を担いでいる一人である」との認識を持つ事が、まずは重要ではないか、と思います。




三宅秀和