よく、学びは「真似る」と言われる。赤ちゃんを見ていればそれはよくわかる。なんでもかんでも真似する→できるようになる→もっと真似したくなる、の繰り返し。

 先日、小学校6年になる息子とプールに行った。お世辞にもあまり泳ぎが上手いわけではなく、自分でも「クロールできひんねん」と言っていた。

 そんな息子が、「あれ、めっちゃ勉強なんで」と指さしたのが、隣のコースで、ずっとクロールで泳いでいた方。息子は、しばらくその方の動きを見ていた。そして、自分なりに手の動き、足の動き、息継ぎのタイミングを工夫して練習し、うまくいかないと、また、その人の動きを見てはチャレンジしていた。

 驚いたのは、その集中力。先に上がってギャラリーから見ていたが、その後も、1時間ほど息子はそれを続けていた。誰かにクロールができるようになる事を強制されていたのではなく、また、誰かにクロールを教えてもらっているのでもない。

 泳げるようになりたいという自分の「欠乏」があり、そして「どうする?」⇒「真似る」⇒工夫する、という一連の中で、面白さを発見し、没頭していたのだと思う。

 日常の些細な事だったが、このようなプロセスが学びの原点なのではと感じた。まず、欠乏(意欲)が生起する事が大前提。そして、興味関心の中で真似してみて、その中に法則をみつけたり、構造化したりして、どんどん没頭していく。そこには「強いる」という過程は一切無い。




野崎章