建設通信新聞リンクより引用します

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 何事も勉強、勉強の基本は自学自習。学びなくして気付きなし、気付きなくして発想なし。すべてに通じる不変の法則、わが信念である。なぜ改めてそんなことをと思うなかれ、いまの建設業界に対する苦言である。一言でいえば「手配師化」。上職者から担当者に至るまで、見るに堪えないから。これではまるで「商社」だ。
 「受け身」。「何故だろう」と思わない。「どうすれば」と考えない。立ち止まって考える癖さえついていれば、気付けば考えているはず。分からない、悔しいけれど分からない。だから勉強する。人から学ぶ。そして気付く。「分かっていなかったことが分かった」瞬間だ。これを繰り返せば、一つまた一つと分かっていく。しめたものだ。
 資格試験一つとっても「塾世代」は、教わりに行く。その動機は「学び」より「不安」。塾に向かう心理は、それを一つ取り除くため。試験に合格するための「通過儀式」が「通塾」。これは、中学受験からずっと続く「塾世代」の共通。だから世代を責められない。

 書店に行き、自分に合った教科書を選ぶ。相性の良い一冊を求めてバイト代からなけなしの参考書代を出して、「合格」をつかみ取るまでのパートナー選びをする。懐を痛めた参考書だから、ボロボロになるまで使い倒す。それが一世代前の流儀。自学自習とは、自分でもがき、悩み、苦しみ、そして得心して自分のものにする一連の所作を指してそう呼ぶ。これこそが能動的な学びだ。分かるまで諦めない、会得するまで、ただ必死。自分自身が試されているとも知らずに続けていく。
 一方で、社会に出てからの教科書は何処(いずこ)にあろう。実務とは程遠い、通り一遍の書籍なら、書店の棚にずらり並んでいる。しかし建築基準法一つ取ってみても、法成立の背景から、体系的かつ網羅的にまとめられた『バイブル』は存在しない。ここで学ぶ側は試される。かたや、それならばと数種類に分けて、自ら体系的に学ぼうとするもの。かたや、手っ取り早く目先の問題解決が先とばかり、人に答えを求め、その答えを伝えて業務完了。「手配師養成塾」に晴れて入塾となる。
 正解なんてどこにもない。最初からない。ないから考えるのである。自分が出した結論が、間違っていなかったことを証明するために。「教科書」とは、その答えが載っている魔法の本ではない。答えを導き出すために自らがつくり上げた形のない「学びの足跡」、それこそが正体だ。そこには無数の失敗と悩みが記されている。自分にしか価値が分からない宝物なのだ。
 遠回りに見えても、右に左に歩みを進め、立ち止まり、後戻りし、振出しに戻り。そして最後に、一気に直線で頂上を目指せる体にいつの間にかなっている。自分だけが気付かぬうちにそんな力がついているもの。だから、焦らず地道にこの世界を究めてほしい。これからの建設業界を担う人材に、きょうはエールを送らせてもらう。
 秘訣なんて何もない、そして『ドラえもん』もいないのだ。
(武)



久里亜