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ECのアリババはアマゾンを、検索エンジンのバイドゥはグーグルを、家電メーカーのシャオミはアップルをといったように、いまや世界的な企業となった中国のIT企業も当然のことながら、アメリカの猿真似から始まりました。
ところが最近では、中国企業が海外のマネすることで身につけた技術を武器に、世界初のオリジナルの物をつくり始め、テクノロジーの専門誌「WIRED UK」は2016年に「 time to copy China(ついに中国をコピーする時代がやってきた)」と雑誌の表紙で堂々と伝えています。

特に、日本では「マネをする」、「パクる」という言葉は圧倒的にネガティブに捉えられることが多く、オリジナルにこそ真の価値がある、0から1を生み出すことこそが起業家の仕事などと思われがちです。

正解が決まっている学校のテストをカンニングするのはダメかもしれませんが、勝ち負けがはっきりしているビジネスやオリジナリティが求められる芸術の世界では、まず成功している人のマネをどんどんしながら「型」を作り、自らその型を破ることで、「型破り」なことを行っていくというステップを踏まなければなりません。

ジブリの宮崎駿監督は20年間、日本のアニメーションに大きな影響を与えた映画監督、高畑勲さん(故人)の下につき、考え方や立ち振る舞い、話し方、そして、字の書き方までを徹底的にマネることで、表現者としての基礎を築いていきました。

また、スタジオジブリで修行していた映画プロデューサーの石井朋彦さんは入社当時、ジブリの取締役であった鈴木敏夫さんから、「若いうちは誰も君の言うことなんて、期待していない。まず、3年間は自分を捨てて、おれの真似をしな。」と言われたのだと言います。(1)



文芸評論家の清水良典さんは、著書「あらゆる小説は模倣である。」の中で、村上春樹の小説も、海外の小説の模倣から入ったとして指摘していますし、ネイマールはメッシをお手本にし、マレーシアは「Look East」というビジョンを打ち出して、欧米ではなく日本をお手本にして経済成長を遂げていきました。

真似る力、パクる力こそ、真の学ぶ力だと言えるでしょう。


日本は歴史的に真似をするのが大好きな国でした。古代から江戸時代までは中国から文化、技術、政治制度など様々なものを真似て、明治になると欧米を真似るようになり、外国のノウハウを血肉にしながら、独自の新しい付加価値を生み出してきたのです。

よく先進国には、お手本がないと言われ、日本もそろそろアメリカの真似を辞めて、独自の新しいものをつくっていくべきだと言う声をよく耳にしますが、果たしてそうでしょうか?

確かに、誰しも師匠の「型」を身につけて、「型破り」をする時が来るように、日本がアメリカという一つのお手本を徹底的に真似する時代は終わりましたが、他の国を真似るという行為そのものを辞め、独自の力で新しいイノベーションを起こしていこうなどと考えていては、間違いなくこの国に成長は無くなってしまいます。

「学ぶ」という言葉は、昔は「まねぶ」と言われ、そもそもの「学ぶ」と語源は「真似(まね)ぶ」から来ているそうです。

そう言った意味で、真似ることを辞めるということは、学ぶこと自体を放棄してしまうということでしょう。




かつては「コピー大国」と言われた中国の都会を歩くと、様々なストリートカルチャーや独自のビジネスモデルに出くわしますが、これは中国が世界の最新のことを全部徹底的に真似ることで「型」を身につけ、そこから型を破って独自のオリジナリティを全面に出すフレーズに差し掛かっているということなのでしょう。



個性や創造性、そして、イノベーションなど、何も型がない人たち、ましてや子供たちがそのような言葉を口にすればするほど、目標からはどんどん遠ざかっていってしまいます。

だって、「型破り」という言葉の通り、破る型がない人に「型破り」なことなどはできるはずがないのですから。





池谷菜奈子