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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉だが、ドイツの宰相であったオットー・ビスマルクの言葉だそうだ。

しかしながらよく聞く言葉である。この言葉を知っているだけで賢者にでもなったような口振りの人も見たことがある。

さて、 愚者は経験に学ぶというが、賢者も元々は 経験に学んでいたのだろうと思う。僕個人の考えとしては、歴史に学ぶということは、「歴史を知り、まるで自分のことのように受け止めて考えることができる」ということである(一般的な使い方は単純に「昔あったことから学ぶ」という文字通り的な意味なのかもしれないし、それはそれで大事である)。

以下は、上記の意味で「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」を使う。

そもそも学ぶということは、知識を覚えるという意味ではなく、腑に落ちて理解することだと思う。咀嚼して自分のものにする、自身の中で体系化する、色々言い方はある。

例えるなら、リンゴをいくつか食べて、リンゴに共通する本質を理解することのようである。「これは以前リンゴだとして食べた物より1cm大きいからリンゴではない」とするのではなく、リンゴに共通する本質をもってして「これもリンゴである」と分かるようになることである。言い換えるならば、自分の中にリンゴ観、リンゴのイメージが根付くことである。

愚者が経験に学ぶと言うのは、こうした感覚的・直感的に理解するために、手を動かさなければいけないことを言う。数・量をこなして体験してようやく自分のものとなる、そういうことである。

一方賢者が歴史に学ぶと言うのは、他者の経験をもって自分のことのように感じ、考えることが出来ることである。例えば、「レモンの爽やかな酸味が口に広がる」と言われたときに、食べてもいないレモンの味が再現されることがある。自分が今経験していないことでも、自分のことのように受けとることができる。ただしこの言い方だと、前もって経験していなければいけないということになるが、そうではない。

レモンの味を知っていれば、グレープフルーツやオレンジを食べたことがなくても、なんとなく予想が着く。自身の経験との共通点を見いだして応用することが出来るからである。

お金の計算などが「数」という抽象的な概念になり、他に応用されるように、賢者は一つの経験を抽象化して学んでいるのだろうと思う。

そういう意味で言うと、大抵の人が出来ている。しかし、それを様々なもので行える人は少ない。賢者と愚者の差は、数学を学んで数学しか学ばない人と、数学以外を学ぶことが出来る人の差である。




匿名希望