1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物は、ディオールやシャネル、エルメス、カルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われています。伝統工芸は古い手法を守るのだけではなく、常に新しい技術を取り込んで現代に生きているのです。

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(前略)
1200年続く京都の伝統工芸「西陣織」の歴史について、駆け足で説明します。
一般的に西陣織というのは、京都の西陣と呼ばれるエリアで作られる先染め織物の総称です。その起源は六世紀にまでさかのぼります。中国で開発された「空引機(そらびきばた)」という織機が日本に持ち込まれ、紋織物を織るようになったのが始まりです。

この「空引機」というのは、高さが四メートルくらいまである非常に大がかりなものです。機械の上に一人が上がって、そこから経糸(たていと)を上げ下げしながら柄を出していく。二人がかりで、一反を織るのに一年くらいの時間を要します。

西陣織の歴史は、究極の美を追求する歴史でした。手間暇をかけて圧倒的に美しい織物をつくる。だから注文主も、天皇、貴族、将軍、神社仏閣の高位聖職者など日本史のトッププレーヤーたちでした。彼らにオーダーメイドの織物を織ることが、西陣の仕事だったわけです。
ちなみに西陣織の「西陣」とは、応仁の乱のときに西軍の本陣がおかれたことに由来します。度重なる歴史上の戦乱で京都は焼け野原になり、そのたびにクライアントは貴族から武士へと変わりながらも、時代の成功者たちが求める最高級のブランドとして生き残ってきました。

クライアントがお金に糸目を付けず、西陣織の究極の美の追求を支えるというエコシステムがあったのです。そのエコシステムが一変したのが、明治維新でした。
この時、西陣織は最大の危機を迎えます。大政奉還によって幕藩体制はなくなり、それに伴って、西陣織を支えてきた将軍はいなくなってしまいました。天皇や貴族、富裕層も、京都から東京へと移りました。西陣織を求めてきた、主要なプレーヤーがみんないなくなってしまったのです。このままでは西陣のものづくりを未来へと継承していくことができない。西陣織はかつてない危機に直面しました。

西陣の人々は、美の追求をなんとか未来へとつなぐため、ある行動に出ました。明治の初めに、三人の若い職人をフランスのリヨンに送り込んだのです。

西陣の職人が当時、フランス語や英語を話せたわけではありません。それでも遠い異国の地へ飛び込んで、技術を学ぼうとする決意と覚悟が、当時の西陣の人たちにはあったのです。
フランスへ渡ったうち二人は腕利きの織り手で、もう一人は織機のスペシャリスト。彼らのミッションは、当時のフランスで最先端の織物技術である「ジャカード織機」とその技術を日本に持ち帰ることです。

京都からフランスへの船による渡航は、文字通り命懸けのものでした。海を渡った三人の職人のうち一人は、帰路、フランスから日本へ向かう船が伊豆沖で沈没して、京都へ戻ることなく命を落としました。残りの二人が学び伝えた技術と、彼らがフランスから持ち帰ってきた最先端の織機が、西陣織を新しい時代に再生させました。職人が命を懸けて持ち帰った新技術が、西陣織の究極の美の追求を未来へとつないだのです。

このジャカード織機の導入により、西陣の織物が生む美の幅はさらに広がっていきました。時代を経て戦後の日本では、西陣のきものは花嫁が結婚式のときに仕立てる一生ものの宝となり、定着していきます。

伝統産業のイメージが強い西陣織ですが、究極の美を追求するために、最先端の技術も取り入れながら決死の覚悟で自らの技術を進化させてきた歴史があるのです。続けるということは、ときには大胆な革新を起こす精神が必要、ということなのだと思います。

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孫悟空
 ( 不生 不定 浮浪 )