2018年のブログ記事ではあるが、2000年以降の所得と生活満足度の比例・生活満足度調査を基とした分析・考察がまとめられている。当時「若者世代」だった、現在の30~40代の社会背景・意識の一端を掴む文献として引用投稿します。

下記, リンク

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所得に関係なく、生活満足度が向上し続け、戦後最も生活満足度が高くなっている現象については、社会学者の古市憲寿氏が、『絶望の国の幸福な若者たち』*3(2011年)や『だから日本はズレている』 *4(2014年)等で取り上げて、非常に大きな話題になったのを覚えている人も多いと思う。当時、私もこのブログで取り上げた。この頃の古市氏の説明につき、当時自分が納得できたものをあらためてピックアップするとざっと以下の通りとなる。
 
① 若者が親と同居していてあまり貧しさを感じていないこと
 
② インターネットを利用するお手軽なコミュニティは花盛りで
   手軽に承認欲求を満たせるようになったこと
 
③ 自己実現欲求や上昇志向から降りることで小さなコミュニティの
  比較しかしなくなり不満が減ったこと
 
④『今、ここ』にある身近な幸福を大切にする感性のことは
  『コンサマトリー(自己充足的)』と定義され、何らかの
   目的達成のために邁進するのではなく、仲間たちとのんびりと
   自分の生活を楽しむ生き方のことを言うが、90年代以降、
   若者のコンサマトリー化が進み、客観的な経済指標がどうあれ、
   コンサマトリーなマインドを持つ人が増えるほど満足度は
   上がることになった。
 
 
■ 現時点での再評価
 
2018年現在の視点でこれを再評価してみると、①は親のスネがかなり細りつつあるが、今のところ『最低限の衣食住の充足』という意味では相変わらず機能していると考えられる(ただしこれからもれると貧困に転落する恐れがあり、実際貧困に沈む若者が増えている)。
 
②はかなり怪しくなりつつある。平成30年の情報通信白書勉強会の報告でも述べた通り、日本ではインターネットはコミュニティのつながりを広げるツールとしてはほどんど利用されていないことがわかってきたからだ。*5
 
一方で、不特定多数ではなく、特定の知り合いの間に限定したコミュニケーションツールである、LINE等の利用は浸透しており(2017年7月時点の利用者数は、7,000万人、1日に1回以上利用する率である、アクティブ率は72%)、若者が狭いコミュニティーに閉じこもる傾向は一層顕著になっている。だから、③の説明は今でも有効だし、強化されたと言っていいかもしれない。日本だけでなく、海外でも、インターネットによって、人は自分が興味があって、心地よい情報しか目を向けなくなる傾向が助長されることがわかってきているから、コミュニティも、情報も、時を追うごとにその人の心地よいものだけに限定されていく。自分の比較の対象となる人も制限されるから、嫉妬したり、不満を感じたりすることも少なくなる。いかに大谷が大リーグで活躍しようと、一般人はそれに嫉妬心を感じたり、それによって自分に不満を抱くことはない。比較の対象にならないからだ(だが、身近な兄弟とか学校や職場の友人となるとそうはいかない)。
 
人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差によるとする、いわゆる『相対的剥奪』という理論があるが、インターネットは、主観的な期待水準を効率的/効果的に下げるツールとなっているとも言える。主観的な期待水準を下げて、自分に心地よく設定することができれば、結果として、不満が少なくなり、相対的な満足度も上がると考えられる。
④も③と同樣、特に若者はますます、コンサマトリーなマインドを持つ人が増えていると考えられる。身近な幸福/楽しさ、という点では、今ではスマホが一つあれば、かつては(インターネット本格導入以前には)考えられなかったほど、ほとんど無料で何でも楽しむことができる。音楽はSpotifyを使えば無料で無限と言っていいほどの楽曲を聞くことができる。Youtubeにも大量の楽しめるコンテンツが溢れている。月に1,000円程度払えば、NetflixなりHuluなりで映画でもテレビでも番組でも、延々と視聴することができる。これらのコンテンツをネタにクローズドで心地よく話ができる気の合う友人たちとLINEで連絡を取り合っていれば、お金をほとんどかけずに楽しくすごすことができる。かつて、音楽CDを買うにも映画を観るにもお金がかさんで、コンテンツ消費もままならない学生生活を送っていた自分を振り返ると、楽園のような環境であることは確かだ。先日も、30代の女性美容師と話しをしていたら、テレビ放映している日本や韓国のドラマをビデオで録り溜めていて、これを消化するのに忙しくて、自由時間のほとんどを使っているので、外出もあまりしないのだという。韓国ドラマ好きの友人たちとのコミュニケーションも楽しみなのだそうだ。
 
<中略>

だが、当時すでに劇作家の山崎正和氏は著書『柔らかい個人主義の誕生』*6 で、高度消費社会では、人々は『より多く、より早く、よりしばしば』という生産至上主義社会の原理=効率主義に疲れ、欲望があまりに簡単に満足されてしまうことで欲望も快楽も苦痛に変質し、選択の対象の数が増えて、人生が迷いの連続になってしまうこと、そして、消費は効率主義の対局にある行動であり、充実した時間の消費こそ真の目的である行動だとして、消費を自己充足(コンサマトリー)に変換することが消費の最終的な成熟の姿であることを予言していた。当時、高度消費社会で翻弄されていた、今の中高齢層は、所得が増えて、消費が拡大しても、ある時点からは決して幸福でも満足でもなくなっていた。消費を通じた自分探しが流行った時期もあったが、早々と迷路に迷い込みかえって不安のどん底から抜け出せなくなっていた。それをこの目で見てきた私は、現状を若者の堕落と見るのではなく、消費社会が成熟した証と素直に見認める方が自然に思えてしまう。

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引用終わり





我妻佑磨