2015年11月

エンゼル・カレッジ2012年の総括~自立とは「自ら役に立つ」こと

2012年4月にスタートした、大起エンゼルヘルプと類グループ社会事業部との協働企画、エンゼル・カレッジ(263247)。有志の集まりによって、介護業界の将来を支える人材育成を幹とし、介護理論の構築を目指して、日々の追求に取り組んできた。

福祉と言えば、今や全国民が必ず接する機会のある領域である一方で、何故か介護領域に関しては非常に社会とは切り離された空間のような扱いを受けている実態がある。

これは、社会的役割を失った高齢者を排出し続ける現在のシステム障害そのものに原因がある事は明らかであり、市場の生み出した問題を一方的に国家へ押し付けてきた事の弊害と言えよう。生産の枠組みから外れた人材がこのまま増え続ければ、湯水のごとく国家予算という名の借金を注ぎ込んだところで、結局そこからは何も生み出されないのである。

この実態に差す一点の光明こそが、自立支援という形態で有り、介護業界全般に期待されている事なのではないだろうか。とは言え、自立という解釈も一歩間違えれば、単に活力を奪うだけの結果にもなってしまう。これが、今福祉に携わる領域で実際に起こっている事だと、カレッジに取組む中で克明に見えてきたように思う。

自分で立つ。自力で生きる。多くの場合、この様な解釈で捉えられていると思われるが、これこそが根本的な誤りである事を認めなければならない。例えば、介護施設で一人の高齢者の生活を支えるために、その周りでどれだけ多くの家族や職員が関わっているか。いや、高齢者に関わらず、この社会で生きて行くという事は、常に人との関わり合いこそが大前提の条件として存在しているはずである。つまり、誰一人自分だけでは生きていないのが現実の世の中であり、だからこそ「自立」が求められるのです。

つまり、自立とは「自ら役に立つ」という解釈でなければ成らないと思うのです。これが、社会の中で【活きている】事の証でもあり、期待応合、そして感謝や謝罪を通じて共認充足を感じあえる根底条件です。現在、介護施設に入居されている高齢者の方々は、100%そのようにして生きてこられた方々でしょう。皆の役に立っていたからこそ、今でも生き続けようとしているのです。期待に応えたいと、今でも思い続けているはずです。その想いに応えて、僅かでも役割を担える日常を提供して行くこと。そこからしか、活力は生まれて来ません。

介護業界も、一方的に高齢者が増え続ける社会の中で随分と変わってきてはいます。管理では無く、支援。拘束では無く、見守り。しかし一方で、既に高齢者介護は施設だけでは賄い切れない状態になっており、ここ数十年の間に抜本的な改革に望まなければ、完全に破綻してしまいます。カレッジへの期待は、この様な現実の壁にぶつかりながら、答えを出していく事です。

ヒントになるのは、270983介護従事者の年齢層変化。つまり、縦の繋がりです。271386でも挙げられていますが、年齢ギャップは対応への迷いを生じさせる原因にも成り得ます。核家族化の中で育つ現在の若者が、いきなり高齢者と接する事自体に、大きなギャップが生まれるのは当然。しかし、その間を繋ぐことが出来れば、各自が媒体となる事で世代間交流も可能になります。そして、若者たちが今「役に立ちたい」と強く望んでいるように、高齢者であっても同じように「役に立ちたい」と思っています。だからこそ、世代の縦の繋がりを構築し、お互いに期待し応え合える環境を作り出していく事。

やはり、『共同体の再生』という所に実現基盤がある事は間違いないでしょう。一人(自分)では手に負えない、という現実の問題に対して乗り越えられる、唯一の基盤は、「みんなで立ち向かっていく」事です。

今年のカレッジ生達の生々しい状況報告のおかげで、今現在の壁が鮮明に見えてきました。そして、まさに介護業界を超えた所に、解決すべき道筋がある、という事が解りました。福祉問題は社会課題。だからこそ、介護現場の現実を開き出し、周りを巻き込みながら当事者を増やして、共認充足の可能性を更に拡げていきたい。目先の課題も大事ですが、その先に大きな充足イメージを抱きながら、共に前進して行きましょう!



川井孝浩
 

手を動かそう。

「世代交代」という言葉をよく耳にするようになった。わたし自身が交代する側に足をつっこみつつあるからだろうか、交代する側のひとのふるまいが、特に目につくようになってきた。

ゆっくりと徐々に年を重ねていくひと、びっくりするほど急速に「老いた」というひと。

前者は、集団における自らの役割=みんなの期待を心得て、みんなから頼りにされ、敬服され、と同時に周りに受け入れられながら、いずれは誰もが迎える年長者としてのあるべき姿を示してくれている。仕事もペースダウンはありつつも、着実に期待以上の成果を上げてくれている。

後者は、外からの印象とはウラハラに、自らの「老い」に対する自覚が乏しく、であるがゆえに、過去の成功体験と照らし合わせて「こんなはずではない」と現実を受け入れられず、自己弁明( ≒他者否定)のみが先行して、いつまでも周りとすり合わない。そして、現実的には、仕事の成果不良が隠せなくなっている。

前者と後者を分かつものはなにか?生い立ちの違い、性格の違い、認識力の違い、いろんな要素が合わさっているのだろうが、周りを見渡してみて、あることに気がついた。

「手を動かすひとは強い」。

書くこと、(ものを)つくること、PCを駆使すること。

ひとくちに「手を動かす」と言っても、そのあり方は職種によってさまざま。ただ、それを、年老いても、組織のエライさんになっても、ずっと続けているひとは強い。類型すると圧倒的に前者型なのだ。

手書きのレジメ、毎日の日報書き、打合せ後すぐの議事録、ひとに指示するための与件書・指示書の作成、そして製図。

やろうと思えば口頭で済ますこともできるけれど、まず、自らの手で営々とつくりあげていく。この、一見、孤独で地道な作業を積み重ねてきたひとは現実世界の住人、年はとっても、何を成しても、いつも鮮度が高い。おそらく、それは、そのつくりあげる過程で、周り(お客さんであったり、部下であったり、仲間であったり、社会全体であったり)の意識に同化し続けてきた証なのだろう。

逆に、なまじ20代~30代前半の若さで重要なポジションに抜擢されたひとは、「口頭で指示を出す」「ひとがつくったものをチェックする」「ひとかどの者として朗々と説明する」ということが常態化してしまい、気は焦っても全く手が動かず、結果として、まわりとすりあわなくなっているケースが多い。過去の栄光(私権時代の幻想?)が華々しいだけに、劣化の著しさが目立つ。

考えてみれば、絵描きやものづくり職人は比較的長寿で、死ぬまで現役、というひとが多い。ずっと手を動かし続けているから、こころ( ≒存在)が安定しているのだろう。

今からでも遅くない。せっせと手を動かそう。



阿部佳容子
 

共認原理の時代!! 高齢者⇔周りの人 お互い巻き込み合って☆

私の小学校時代の恩師はもう70歳近いおじいちゃんになりました(^O^)
昔は都会に住んでいて、田舎の暮らしに憧れ長期休みの間を利用し九州で生活していたこともありました。田舎での暮らしには自動車が不可欠!!しかし、若い時ほど素早い判断力もないので、運転が危ないと感じることが多く自動車の運転を諦めることにしました。そうすると田舎ではどこにも行けないしとっても生活が不便に(>_<)
ということがあり、都会に戻ってくることになりました。

定年退職をしたあとの生活を聞いていると、とても活気溢れた生活をされていました。
毎朝3時頃に起きて、漁師関係のお仕事に行き、魚をさばいて家族や近所の人にプレゼント♪ 周りに自転車屋さんがなく周りの人達や子供達が困っている様子を見た恩師は、自転車の知識がとってもあったわけではないけど自転車を修理できるように猛勉強☆そうして皆の自転車を修理してあげたり☆
そのようなことをしていると家族やご近所の皆が喜んでくれるので、何でもできるようになっちゃったそうなんです(^-^)「皆の喜ぶ顔を見ると何でも屋さんになれるくらい色んなことをできるようになったんだよ♪」って!!

地域の中心的存在になった恩師はその地域の町内会長まで任されるようになったんですって!!というお話を先日とっても活き活きとお話してくれました(*^_^*)


>生活保護問題・高齢者問題・国の問題をもう一度過去から見直し、どうすれば、高齢者が一人きりにらならず、家族もいっぱいいっぱいにならず、日常生活を続けられるか。

とあるように今の日本には高齢者に関する問題が多くあると思います。
しかし今は共認原理の時代☆その中でいかに元気な老人が家族やご近所さんや周りの人々を巻き込んでいけるか。さらに高齢者のそばにいてあげることができる周りの人々もどれだけ老人を巻き込んでいけるか♪状況に応じてその役割をお互い見つけあい生活していくことができれば、制度や枠にとらわれることなく孤独や不安からも抜け出せるのではないか。とも思います(^-^)

色んな問題、厳しい現実はあるかもしれませんがそんな中でも私の恩師のようにいつでも楽しく活き活きと生きていきたいな♪これから何十年間そうあり続けたいと考えさせられました(^O^)



マリリン 

特権階級の脳みそメルトダウン

あまりにもびっくりして、アゴが外れるかと思いました。

↓の記事を読んで下さい。
雇用流動化へ「40歳定年を」 政府が長期ビジョンリンク

>国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)の分科会は6日、国の長期ビジョン「フロンティア構想」の報告書をまとめた。国家の衰退を防ぎ、個人や企業が能力を最大限生かして新たな価値を生む国家像を2050年に実現するための政策を提言。「40歳定年」で雇用を流動化するなど労働生産性を高める改革案を盛り込んだ。

 学識者や企業人らで構成するフロンティア分科会(座長・大西隆東大大学院教授)が野田首相に報告した。首相は「社会全体で国づくりの議論が喚起されることを期待する」と述べ、近くまとめる日本再生戦略にも反映する意向を示した。

 改革案の柱は雇用分野だ。60歳定年制では企業内に人材が固定化し、産業の新陳代謝を阻害していると指摘。労使が合意すれば、管理職に変わる人が増える40歳での定年制もできる柔軟な雇用ルールを求めた。早期定年を選んだ企業には退職者への定年後1~2年間の所得補償を義務付ける。社員の再教育の支援制度も作る。雇用契約は原則、有期とし、正社員と非正規の区分もなくす。

~引用終わり~

視野狭窄なんてレベルじゃありません。国家の首相、東大教授、その他学識。彼らの頭の中は、一体どうなってしまったのでしょうか?

今後更に少子高齢化が進む社会において、今以上に働かない老人を増やして、どうするつもりなの?

本当に、今の統合階級は“現実が見えていない”事を、まざまざと見せつけられた心境です。いや、あるいは彼らの住む世界だけは、本当に重荷にしかならない高齢者が多いのかもしれません。

しかし、日本企業の99%を占める中小企業にとって、年配者の存在は宝です。たっぷりと染み込んだ経験や技術蓄積を存分に引き出してこそ、企業としての生き残りが図れるのです。創業100年を超える企業が10万社以上と言われる老舗大国日本は、先人の知恵を借りながら劇的な外圧変化に適応してきた、種としての実現態そのものなのです。

これまでの人生を、外圧を直視して全うに生きてきた人ほど、定年退職制度は不要だと考えるでしょう。働いて、周りの役に立つ事こそが、生きる糧であり充足源だと、解っているからです。

世界でも群を抜いて老舗企業の揃っている日本の宝を、現政権は壊そうとしている。先人に学ぶことすら出来無い統合者・学識こそ無用だ。意味不明なフロンティア構想は、どうかあたな方(フロンティア分科会)の頭の中だけに留め、そのまま墓場まで持ち込んで頂きたい。



川井孝浩 

農村レストランと攻めの産直の展開/「江刈川集落」の取組 その1

岩手県北上山系んお奥深い葛巻町の江刈川集落に住む町役場勤務の公務員夫妻が、地域活性化のために「農村レストラン」のそば屋を開店、地域に雇用の場を創出し、さらに地元産品の加工場、そして、県都盛岡への主張型の「攻めの産直」に取り組んでいる事例を紹介します☆

以下「農」と「食」の農商工連携 著:関満博 より引用

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公務員夫婦が集落の女性たちを集めてスタート
高家卓範氏と章子さん夫妻は、いずれも葛巻市町の職員であった。自宅は江刈川集落にあり、夫婦は20年ほど前から標高550mのこの土地で何かできないかを考えていた。卓範氏は「県内でも葛巻町は山の中、同じ葛巻の中でも江刈川はさらに奥。戸数は56戸、人口は200人ほどだった。『江刈川はい良いところ』と言われるようにしたかった。地元の水車やそばはそのために使えると考えていた」と語っていた。

夫婦はそば畑のオーナー制やそば祭りの開催を試みたが、賛同を得られず挫折。そのため、当時、新しい家を建てて空き家になっていた旧自宅に着目、改装してそば屋を開くことを決意する。卓範氏44歳であった。集落の多くの人々に声を掛けたが、ようやく賛同してくれた水車組合の9戸の主婦と1992年8月に「高家領水車かあさんの会」を立ち上げる資金は高家夫妻が出し、建物もある。お母さんたちには「そば打ち技」を提供してもらい、お父さんたちには「了解」してもらい、時々、労務提供してもらう。高家氏は「お金を出した人だけが出資者ではない」と語る。

活き活きしている姿を見るのが幸せ
農村レストランの「森のそば屋」は1992年11月に開店、「自分たちでそばを栽培し、水車で挽き、手打ちで出す」ことが最大の特色である。当ス初、周囲の目はひややかであったが、開店当初から大繁盛となった。

開店時間は10時30分~17時まで。出勤は9時、退勤は18時であった。しかし、近所の女性たちは夜が明ける頃には準備のために集まってきていた。
年配の女性たちは「お金が貰えて楽しい。歳をとってここに来れなくなったら悔しいでしょう」と語る。時給は600円+食事。働いているのは70前後の集落の女性たちで、15~16人の方がローテーションで働いていた。

売上は天候に大きく左右される。2007年は年間で1万5000人が訪れ、最大で1日200人であったが、最低0人の日が2日あった。

高家氏は「10aの畑で2俵(1俵45kg)のそばが採れる。市場価格は1万5000円だが、粉にすると7万2000円になる。それを生そばにして宅配で売ると18万円になる。さらに食事として提供すれば48万円になる」と語っていた。

集落の3.5hの畑が森のそば屋に確保されていた。売上額はやや落ち着き、年間1900万円。900万円が給料として支払われていた。高家夫妻は無給。「地域の皆さんが活き活きとしている姿を見れているのが幸せ」と語っていた。

農村レストランと攻めの産直の展開/「江刈川集落」の取組その2に続く



八幡早紀 
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