2016年03月

モノ作り教育の大切さ

 先日、地元紙で紹介されていた「身近な廃材から生まれたおもちゃ展」を見に行った。
トイミュージアムと案内に書かれた会場を訪れると、そこは住宅街の一角にある児童向けの工作教室とおもちゃの展示館が併設されている施設だった。木材で作られたその大きな建物の中からは、鉄を叩く音が響いている。

中へ入ると、一階には大きな工房があり、中では10名近くの小学生が黙々とモノ作りに励んでいる。平成というより、一昔前の昭和の雰囲気がたっぷりの空間だ。壁には様々な工具がかけられ、様々な素材の並んだ大きな棚がいくつもある。ここに来れば、どんな工作も出来そうな気がして、大人でもワクワクする。毎週土日には、子どもたちがそれぞれ、自分の作りたいおもちゃを作りに来ているらしい。かたわらには高齢になる館長が付き添い、スタッフとともに指導にあたっていた。

スタッフの方に案内され、2階の展示室に上がると、東南アジアや中南米、東ヨーロッパ、アフリカなど世界各地の手作りおもちゃが展示されている。どれも館長が世界中を旅して集めてきたものだという。
今回の展示で特集されているのは、マダガスカル(アフリカの島国)の人達が廃材から作ったおもちゃの数々。電球や香水の瓶、ヘアスプレーの缶から生まれ変わった灯油ランプ。空缶から作られたトラックや、ミキサー車にクラッシックカー。古タイヤから作られたサンダルや王冠から作ったバッグや空缶から作った帽子など、どこか懐かしいものばかり。そのモノ作りのアイデアと工夫と器用さには感心した。

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生産年齢人口について ~切り口を変えると見えてくること~

日本の公的統計は、幅広く整備されていると思う。大規模な調査をし膨大なデータを得て、それを国勢的な統計資料としてまとめるのは、個人では不可能。資料の信頼性を含めて公的機関に委ねざるを得ない。

 国勢調査などで得られたデータは、本来、無味乾燥だ。それを、特定の『切り口』で分析(集計)して、意味を持った統計資料にする。たとえば、“男女別”に人口を見る切り口や“年齢別”に人口を見る切り口などが最も基礎的な切り口だろう。統計資料にとって分析(集計)の「切り口」は、明らかにしたい事象とともに、最も重要な設定事項だ。
 ところが、私たちは、公的統計の「切り口」について、ほとんど疑うことはない。専門家による大変有意なデータとして、有り難く鵜呑みにしているのではないだろうか。その好例が「生産年齢人口」である。

 生産年齢人口とは「年齢別人口のうち労働力の中核をなす15歳以上65歳未満の人口層」のこと(リンク )。ネットで「生産年齢人口」を検索すると山ほどヒットする。中身を見ると「日本はこれから将来、生産年齢人口が減少し続ける。大変な世の中になる」という内容が多い。公的統計資料を根拠にして、高齢化社会日本の将来を、半ば絶望視するものまである。続きを読む

江戸の老人の役割

西洋文明(私権)の流入で、日本の社会構造が変化する前。
生産力の上昇、人口増加、衛生面の向上→社会の混合・不整合から秩序化の流れは、現代とも繋がるところがあるか。
そこでの老人の役割は?

一.生産に関わり続ける老人
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老後の生活-江戸時代の繋がりと地域社会
リンク

■老後も働ける限り働く
江戸時代、隠居生活は恵まれた農民のみで、その他の農民は老後も働ける限りは働く。
大藤修氏によれば、重労働は体力的に難しい為、稲の穫り入れ後の落穂拾い、稲の品種計量などの軽作業などをしていた。

■文字の普及による老人の役割変化
江戸時代、学者が書いた農書が出回り、文字による伝達・普及によって、老人の蓄えてきた知識は顧みられなくなったという説がある。
しかし、地域の年配者の持つ技術と長い人生経験に基づく教えは農民の間で伝承され続けた。
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日本の隠居は、社会役割として本業以外の「隠居仕事」を担っていた。

現代の高齢者は、定年後に社会に関われる役割分担が無く孤立しがちです。

昔のご隠居さんは、どうしていたのか?と思い調べてみると、粋なご隠居さんでした。

■日本の隠居文化
日本ではある程度の高年齢に達すると「隠居」すると言う文化があった。
隠居とは、家督を後継者に譲って、自分は第一線から退く。
自らは悠々自適の生活となるが、日本の高齢者は、「隠居仕事」(老人が勤めをやめてからする、生計に直接かかわりのない仕事)を始めるのだ。
共同体の一員である老人は、次なる「隠居仕事」で社会との関わり(役割)を始めるのです。

その実例を紹介している記事を紹介します。

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■現代にいかす「江戸のライフスタイル」
リンク

② 隠居 ― 残照の余白

 江戸時代には「隠居」の制度があった。武家の場合は、法令では70歳と定められていた。が、江戸も中期のころになると、「つとめながらの隠居」という方便がとられ、年齢もしだいに引きさげられていった。

たとえば、享保年間(1716~1736年)では61歳から64歳であったが、100 年後の文化年間(1804~1818 年)では52歳から55歳と低くなっている。

町人の隠居には年齢の制限はなかったが、井原西鶴は、『日本永代蔵』で、「二十四、五歳までは親の指図を受け、その後は自分の才覚で稼ぎ、四十五歳まで一生困らないだけの身代しんだいを築き固め、それで遊び楽しむのが理想の生き方ときわまったものである」といっている。
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【子守り】と【子育て】とは違う~高齢者の最後の役割=子守り☆

>タンザニアの狩猟採集民ハヅア族の女性のなかでもっともよく働く年齢集団は閉経後の祖母たちである。彼女らは、一日平均七時間働く。一日中、根菜類やベリー類、ハチミツ、果物を採集して歩くのである。子どもはいなくても、腹を空かせて待っている孫たちがいるからである。彼女らが食料採集に費やす時間が多ければ多いほど、孫の体重増加が早まるのである。
>高齢者がもっと高齢になって、一日七時間、根菜掘りができなくなったら何ができるのだろうか。それは、子守りである。祖父母が孫の子守りをすれば、子ども夫婦は育児の心配をすることなく、食料探しに専心できる。
(「275343 文明以前の社会、高齢者はどのようであったか?」より)


上記の投稿より、タンザニアの採集民の、最後の最後の役割が、「子守り」だったことが分かります。

ここで、現代人の私達からしたら、意外な気がしませんか?そんなに老いて「子守り」ができるのか?と。しかし、原始共同体における「子守り」とは、現代の祖父母が孫の面倒をみるというような構図とは、全然ちがったのではないか?と想像されます。
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