2016年09月

課題仲間が沢山ほしい

「もう一度、心を開き合うにはどうしたらいいか」
「新たな課題と信頼できる仲間たちの必要」(15069宮川さん)

宮川さんの言われるこの2点について、考えてみました。

「現代人」と言われる(と思う)私自身、子どもの頃から、人に嫌われないような、当り障りのない言動が多い。みんな、仲間との関係を強く意識しているというのに、だからこそ、その仲間関係は表層的になってしまう続きを読む

おじいちゃん、おばあちゃん。

上山さん、こんにちは。
>おじいちゃん、おばあちゃんが活躍できる場があれば、どんなに素晴らしいことでしょう。

いいですねえ。おじいちゃん、おばあちゃんが活躍できる場。ほんとに有ったらいいと思います。 今の世の中若者がもてはやされすぎて、お年寄りが小さくなっているように思います。いろいろと機械化されてついていけないというのも大きな理由だとは思いますが、それにしても存在感がもっと有っていいと思います。というか、我々も含めてですが、子供や若者はもっとお年寄りに聞く姿勢を持つべきではないですか?
お金では買えない多くの知識や、豊富な経験からくる「お話」、アドバイス。きっとそれらは今の社会を構成する要素としても必要なものなのだと思います。



匿名希望
 

実名=「現実の自分」からの逃避

私は学生時代、芝居をしていたときは、芸名を使っていました。みんながそうするから、という理由です。私は「野崎慶」と名乗りました。今でもこの名前には、責任と誇りを感じます。客観的には何の変哲もない名前ですが、私の芝居にかける情熱のすべてをこの名に託していました。
同じように、るいネット以外の掲示板に参加するときは、みんながそうしているから、という理由でハンドルネームを使います。「けい」あるいは「長月けい」です。学生時代のように、この名前を使うとき、この名前が人格を持ってくれるように、「育てる」あるいは「名を売る」感覚があります。

このるいネットで匿名の議論が持ち上がるまでは、「ダブハン」するわけでもないし、「無責任」なわけでもないので、ハンドルネームはネット上の作法だと思い、問題には思っていませんでした。でも、このフレーズを読んで、ハッとしました。
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率直に思う「今までとはここが違う。」

社会生活の中でその集団を構成している人々の意見が分かれる場面・事件に遭遇する事が、あります。今までは何となく「長いものに巻かれろ」的に行動する人が多かったと思います。でも結果的に上手く行かなかった時は、「黙って長いものに巻かれた」自分を忘れてその場面・事件に対して解決方法を提案した人を物陰から批判する、「だって自分には発言する機会が与えられ無かったから」と自己弁護しながら。でもネットという全員参加可能な場が誕生した今は、そうは行きません。自分がもし何らかの意見なり解決方法を提示したい時は出来るのですから、その前提で決定された集団の行動に従う・・・、実に簡明です。だからもし議論になっても自ずとどの意見が集団、大きく言えば社会全体を対象と捉えているかネットに参加しているメンバーも瞬時に判断出来、それに従える、そう自分達の主体性=責任で行動して行ける時代が来たのです。そう考えるとネットの可能性は、無限大であると感じると共に自分が参加している事実に身が引き締まる思いです。



田中令三 

おもしろいですね。

>インターネットは社会の「神経」

とすると企業は臓器で我々は細胞と言ったところですか。
生物細胞はDNAという「生物全体の情報」を持っています。
同様に我々も社会全体を俯瞰する能力は持っていると思います。
社会の中の(企業の中の)歯車のように動くことを宿命づけられれている訳ではないはずです。社会のことを考え、感じ、発信することが役目であることは生物細胞と何ら変わらないのかもしれません。



鈴木龍也  
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