2016年10月

高齢化社会とネット(2)

ネットを別にしても、高齢者が社会的役割を担い続けることは、その人の健康にとって重要な意味を持ちます。高齢者の5パーセントほどが「痴呆老人」ですが、北大の調査によると、予想される通り、40代、50代のころ、社会参加活動を積極的にしていた人ほど、ボケないことがはっきりしたそうです。そういう人たちは60、70になっても地域の役員やサークルの世話役などを続け、その対人的な交流が「痴呆」を防いでいるわけです。老化に伴い「行動範囲」はせまくなりますが、ネットの世界を通じてなら「交流範囲」(地域的にも、世代的にも)はいくらでも広げられます。

また総理府の「長寿社会に関する世論調査」によると、「出来るだけ長く働きたい」と思っている人は54、9パーセントに達しており、70パーセント以上は、今の定年が早すぎると思っているそうです。今後若干の定年延長があったとしても、リタイア層の絶対数はかなり多いことには変わりなく、その中で「やる気はあるが体がついてこない」層も増加するでしょう。かれらにとってインターネットによる社会参加は大きな可能性を開くもので、極端な場合、寝たきり状態でも語り部的な役割を果たすことが可能です。音声入力など機能の改良も、かれらの活動をますます容易なものとしてくれるでしょう。
続きを読む

小地域福祉

中山さん、こんにちは

>しかし、地域コミュニティを再生させようとの取り組みが各地で試みられています。今のところ、その担い手は退職者の方や主婦層が中心のようですが、この活動が根付き拡がっていけば、「見えない障壁」も徐々にでしょうが取り払われると思います。

上記の部分で私にも意見があります。
今、小学校や中学校の空き教室の数が増えていっています。
知らないうちに非行少年少女たちのスペースとなっている場合もわずかではありますがあります。
じゃあ、どうしたらいいのか?
空き教室をその地域に住んでいる老壮年・主婦の方々を対象にして、公開講座生涯学習を行えばいいと思います。
そうすることによって、児童や生徒の「顔」をおぼえ、また大人は児童や生徒の「顔」をおぼえることができ、地元で悪さをしている非行少年少女たちに対して、学校での交流のなかで、「叱る」ことができるように思います。また、障害をもった児童や生徒のインテグレーション(合同教育)を行う学校側の「ゆとり」もできてくると思います。
教室を開放することによって得られるメリットは他にも不登校の子どもを少なくできる可能性もありますし、実際に経験している大人たちの「社会とは、社会に出るということは」などの話しや実践を見てもらえるようになると思います。今まであった教師の負担も、社会人も仲間に引き入れることによって共同体ができ、少しは楽になって、本業の教育に力をいれられるようになるし、力を入れなければ淘汰されると思います。学校ごとの小さな地域社会・地域教育もこの共同体で可能かと思いますがいかがでしょう。



恩田真人 

インターネットはつながるためのものでは?

この間の、るいネット有料化についての議論を見ていて、ちょっとかみ合ってないなと思うところがあります。それは、現在のインターネットは、既に情報を得るためのツールではないのでは?という点です。

インターネットを情報を得るためのものと捉えると、サイトの有料化→お金に見合う情報の質や量という方向に考えてしまうのは当然です。そうではなく、人とのつながりを得るものと捉えて考えて行けば、また違う可能性が見えてくるのではないでしょうか。

どなたかのご意見にもありましたが、普通の人は、人とつながれる携帯電話のメールや出会い系サイトにはお金を払っているのです。情報ではなく、いい人や良質なサイトとの質の高いつながりを得るため、そのつながりを得るための場を運営・向上させていくための資金と考えればよいと思います。
続きを読む

自分から変るのではない 『禅寺体験から』

>社会を変えるという事」を大仰に捉えずにまず賛同、参加すること。そしてその関りの中から刺激を受け、相互に期待応望の関係を作る中でしか一番変えにくい「自分」は変わらないと思います。

>あぶらむの里の話もそこで改心した人?がずっと続いて自分を変えることができたのでしょうか?私は一時的には変われたかもしれませんが、永続的なものにはならなかったと思います。なぜなら彼を取り巻く社会は変わっていないからです。 (15834 田野さん)

まったく同感です。社会共認を変えていくことに参加する中で自分も変っていくというのが自然な姿だと思います。まず自分から変る、その上で社会変革に参加するというのは、あるイデオロギーを習得して、それをもとに社会を変革するという、過去の「非日常の運動論」だと思います。

(自分の)価値観転換も同じことが言えます。数年前に私権社会特有の問題でもある(自分の)自我私権性について何とか打開策はなないかと、半月ほど海辺の小さな禅寺にこもったことがあります。己の自我私権性の問題を、あるべき精神世界から見直していくという『禅』の方法に賭けてみたわけです。
続きを読む

意見を述べながら変わってゆく

あるサークルに入会して一年が経とうとしています。最近「お客さんの顔」から「仲間の顔」になってきたと言われました。
自分ではあまり自覚できていませんでしたが、あまりでしゃばらないようにという思いをしていたことが、「お客さんの顔」としか捉えられていなかったのでしょう。
何が変わったのかといえば、サークルの中身が分ってきたので、少しでも役に立ちたいという思いから役割を担うようにしたことでしょうか。

このことは、お客さん(=観客)のままでは、集団や社会に関わっていないことを示しているのではという事象を示しているように思います。
>社会が人間を変える<とは、社会の役割を担ってゆくことで人間も変わってゆくと言い換えられるように感じます。
地位が人間を変えてゆくということも、地位にある役割を担ってゆこうとする中で、その人が変わってゆくのだろうと解釈できます。
ネットで言うなら、見ているだけのお客さんでなく参加(発信)して初めて、場も自分も変わってゆけると痛感します。



橋本正雄 
ランキング
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ

ギャラリー