2020年12月

農業したいと思う若者を増やすには?

親の仕事を継ぎたいと思うかどうか。

農業をしている人がキラキラ輝いていたら、農業に携わる若者が増えていくはず。

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休みなく働く農業なんてやりたくない!
子供の頃、自分の親を見て毎日思っていました
親の顔なんて見たことがないってくらい私の親は働きづめでした
日曜祭日なんてありません。
月曜日には学校の友達が日曜日に家族でデパートに行ってきた、遊園地に行ってきたなんて話を聞くと羨ましくて仕方がありませんでした
授業参観には親ではなくばあちゃんがやってきます
若い親の中に私だけばあちゃんが来ています。

子供心に恥ずかしかったことを覚えています
私は農業が嫌いでした
それは子供の頃親にかまってもらえなかったトラウマなのかもしれません
何度も親に反発しながらも
結局は私が後を継がなければ誰も継ぐ者はいない。
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コロナやAIで消える職業、結局は人間が介在しないと成立しない

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10年後に消える職業の新たなリスト

ちょっと前に「10年後に消える職業」のような事を言うのが流行り、ITやAIで多くの職業が消えると予想されていました。その頃消えるリスト上位に指摘されたのは事務員、銀行員、運転手、店員、記者などでした。2010年代はAIへの期待が非常に強く、今考えると先走り過ぎとも思える予想が多くなされました。
例えばテスラやグーグル、アップルの自動運転車が走る姿を見て、人々は来年にもすべての自動車が自動運転になると勘違いしました。実際にはこれらの「自動運転車」は衝突防止装置搭載車に過ぎず、障害物を避けて走れるだけでした。自動運転車には必ず人間の運転手が乗ってハンドルを握り、いつ自動運転が破綻しても良い条件でしか走行できません。工場の敷地内やゆりかもめのような専用レーン上でしか、今後数十年間完全自動運転は実現しないでしょう。その理由は道路の形態は規格化されておらず、「決まったパターンを繰り返す」のが得意なコンピュータの得意分野ではないからです。米軍でも完全自動運転車や完全無人飛行機は実現しておらず、どこかで誰かが操縦しています。こうした事を考えると運転手が不要になるのは2050年代以降かなと思います。続きを読む

外遊びで身につく力って!?

15時~21時までのお預かりがある類子屋の遊学舎で、面白い出来事が♪

その日の遊学舎に居た5人のタイプはバラバラ。
講師が統合しようとしていましたが、それでは「誰かに遊ばされている=管理されている状態」で子供が生き生きしないと感じました。
そこで、思い切って遊びを子供達に任せてみると、子供達に驚きの変化が!

なんとお互いに気を配るようになったり、皆で遊びやルールを提案できるようになったり...
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類グループ社員ブログ

身体を同調させる場所づくり ~集団のための場をつくるということ~

◆集団の大きさとコミュニケーションの種類
人間の社会は、「家族」と「共同体」という二重構造から成り立っていて、これは他の動物には見られない特徴です。

「家族」は互いに見返りを求めない集団ですが、「共同体」は何かをもらったらお返しをしなければならない互酬性の関係の上に成り立つ集団で、それぞれ生成原理が異なります。人間だけがこのふたつの集団を両立させることができたのは、他人に共感し、同情する能力が優れていたからでしょう。ゴリラやサルの集団はそれぞれが自分の利益を守りたいという動機から成り立っていますが、人間は相手の気持ちや事情を考えることで、「家族」の枠を超えて「共同体」の利益までをも優先して行動することができます。

また、人間は「家族」や「共同体」に強い帰属意識を持っています。ゴリラやサルは直接顔と顔を突き合わせるコミュニケーションによって集団をつくっていますが、人間は頭で結び付いているため、顔と顔を突き合わせなくても集団をつくることが可能となります。他者との差異を認め、さまざまなコミュニティを渡り歩くことができるのも人間だけなのです。

人は寝起きを共にするとお互いに無防備な部分をさらすことになりますが、それは他人との信頼を高め、身体を同調させることに繋がるのです。

集団の規模によってコミュニケーションの種類が異なるということがゴリラやサルの観察や人間の脳の研究を通じて分かってきていて、10~15人くらいの規模ではそういった同調のもとで共鳴し合う集団をつくることができます。つまり、少し前の時代の10数人規模の大家族で暮らしていた頃は、共鳴集団で身体と心をひとつにしていたわけです。そのひとつ上のサイズは30~50人の集団で、これは誰かがいなくなれば気付くことができ、服装や文化などのモードを共有できるレベルの集団です。学校のひとクラスがまさにそのくらいの人数で、だからこそ先生が全体をコントロールできるのです。
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「他人への依存」を否定すると、自立できない②

■人生は依存に始まって依存に終わる。そのうえで「自立」を考えよう
とはいえ、誰もがコミュニケーション能力に恵まれているわけではありませんし、経済的・社会的な資質にも限界があります。それに、相互依存のギブアンドテイクをあまりにもキッチリやろうとすると、くたびれてしまいませんか。そこまで頑張ってまで「自立した人」を目指す必要って、本当にあるのでしょうか。

現代の日本人は、幼いころから「他人になるべく迷惑をかけないようにしなさい」、「責任感のある自立した人でありなさい」と教えられて育ちます。個人主義社会によく適応した人間になるためには、こうした教えは必要なものでしょう。

しかし、いついかなる時も「自立している人」であり続けるのは、それはそれでしんどいものですし、人間がはじめから「自立している人」として生まれてくるわけではない、という事実を忘れてはいけないように思われるのです。

人間の人生は依存に始まり、依存に終わります。
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