2021年09月

安定が実は苦痛 優秀なのに大企業を辞めた若手の本音

以下(リンク

■辞める若手の属性が変化している
若手が3年で3割辞める(大企業なら1割未満)、という事実が昔から変わらないとして、それが問題になりはじめたのはなぜでしょう?

理由はとても簡単です。

昔は、「不満を持った人」が3年で辞めることが多かったのです。

入社してみたものの、どうも会社にあわない。学生気分が抜けないということもあるでしょうし、社会人としての生活になじめないという人もいました。またそもそもやりたい仕事ではなかった、ということに気づいた場合もあります。そんな人が辞める場合には、会社もそれほど残念に思いませんでした。むしろ「こらえ性の無い若手が辞めてくれてラッキーだった」と公言することすらありました。

辞める人も会社の評判サイトに悪口を書き連ねたりしていましたので、それらのサイトを見ればおおよその社内事情も見えてきます。だから間違って入社してしまうことも減るでしょう。

優秀な人が去る会社の評判は決して悪くないが…
しかし近年目立つのは「期待されている人」が辞めることです。

例えばインフラ企業に入社し将来の役員候補と目されていた優秀な若手が入社1年で辞めた例があります。大手メーカーで入社時点から研究開発テーマを与えられていた有望な研究者が入社後半年で辞めてしまった例もあります。

そんな彼らは、辞めるときに不満を言いません。むしろとても良い会社に参画させてもらった、と感謝を口にしながら辞めてゆきます。会社の評判サイトにももちろん「良いこと」ばかりを書いています。

皆さんの周りでも、期待されているのにあえて転職していく友人や知人がたまにいるのではないでしょうか。

さて、ではこのような会社は良い会社だと考えてよいのでしょうか。

人事部門から制度と運用の実情を確認していくと、必ずしも「良いこと」ばかりではない事情が見えてくることがあります。

任されるよりも尊敬できる相手が欲しい
B君は大手メーカーで期待され、多額の予算も用意された研究者でした。

けれども彼は転職するときに本音を語ってくれました。

「尊敬できる研究者と働きたかったんです。このメーカーならそんな人がいると思っていました。実際に優れた特許を取っている人も何人かいましたから」

だったらその人たちと一緒に働ける状況が良かったのでは、と尋ねたら彼は首をふりました。
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創造していくために生物の進化に学ぶ「進化思考」

今や仕事をするにしても、生活していくにしても答えのない時代。
そんな中で、私たちの一番の羅針盤になるのは何か。
それは、歴史、生物の進化、生命原理、自然の摂理などではないか。
だが、具体的にこれらが生きていくうえで、創造するうえでどのようにつながってくるのか。



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リンクより


「デザイン思考は、多様なアイデアを生み出すには良い方法だと思うが、最終的にどれくらい実現可能なアイデアが残るのか、疑問に感じている」とNOSIGNER代表の太刀川英輔氏は言う。デザイン思考の限界を乗り越えるものとして、生物の進化のプロセスに学ぶ独自の「進化思考」を提唱する。

生物は40億年をかけて多様な形態を生み出し、環境に適応してきました。この進化のプロセスでさまざまな形態が生み出されることと、デザインや発明でさまざまな形態が生み出されることの類似性を基に、どうすればイノベーションが起こるのか、起こせるのかを追求するのが進化思考です。

 生物の形態は周りとの関係によって決まります。周りの環境に最も適応したものが生き残る。そのために、例えばカエルはたくさんの卵を産み、少しずつ違った子供が生まれる。その中でどれが生き残るかは周囲との関係によって決まる。そしてそれを何世代にもわたって繰り返します。変異によってトライして、関係によって淘汰する。この「変異─関係─変異─関係……」を繰り返すことで、少しずつ形態が進化するのです。

生物は周りの環境に最も適応したものが生き残る。変異によってトライして、周囲との関係によって淘汰される。そしてそれを何世代にもわたって繰り返す人間が作り出すモノの進化も、同様のプロセスで説明できるというのが「進化思考」の考えだ


 こうしたプロセスは発明でもイノベーションでも起こることだと思いました。イノベーションについて語るときに、「○○の進化」といった言い回しをよく使います。それは生物の進化とイノベーションに強い類似性があるからでしょう。
その類似性に焦点を当てたときに、文化進化的な概念としては、かねて、いろいろな人が提唱していますが、それを手法化しているケースはほとんどありません。進化のプロセスを再利用してイノベーションに使えるようにしようというのが進化思考なのです。

 関係性を理解するというのは、ビジネスの現場では知識を身に付けるということに近いかもしれません。ある企業にしばらくいると、その業界の常識とかクライアントの傾向とかが分かってくる。そうして関係性ばかり学ぶと、変異できなくなる。スクリーニングで弾かれそうなイレギュラーなものは最初から生まないようになってしまう。一方で、新入社員などは関係性が分かっていないから、特異なアイデアは出るけれども通過しません。だから諦めてしまう。だったらその両方を身に付ければいい。おそらく、優れた発明家やデザイナーはその両方を1人で切り替えてできる人たちだと思います。

 「関係─変異」が最終的にどのようにデザインに結び付くのかを概念的に示すことができます。
関係というのは暗闇の中にある領域を設定するようなものです。
内外を分別し、スクリーニングや淘汰する役割を持つ。
そうした関係の領域をいくつも描いて、その上に変異というダーツを投げていく。
的を射たものもあれば見当はずれなものもある。そうしてたくさんの変異の中から淘汰されたものだけを集めると、あるべき姿が見えてきます。
この状態が良いと分かったときに、「それを何と呼ぶか」と、言葉や概念にして示すのがコンセプト作りだと思います。そして、そのコンセプトを最小の形で最大の関係を発揮できるように設計するのがデザインの役割でしょう。



稲垣佑果子

常識という判断基準はどのようにつくられるのか

それは常識だと捉えた瞬間に思考停止し、生きづらい世の中にになっていく。

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そのなかでも私たちが日ごろから当たり前と思っている「常識」という要素は、自分や周りの観点の固定から自由になるためには明確にしておきたい要素です。日本人の潜在意識にありながら曖昧な常識は、どのようにしてつくられているのでしょうか。

まず、はじめに人間は自分が認識した存在に名前をつけ、その用途、機能、目的、意味を規定しています(存在論・認識論)。そして存在AとBを比較してから、自分との関係性で価値を決めます。

 もしコップであれば、飲み物を入れる器ととらえ、ワイングラスとコーヒーカップ比較して、ワイングラスは1200円、コーヒーカップは800円などと価値を規定していきます。

 やがて、「バカラのワイングラスは高級なワインを飲むときに使うもの」「湯呑にコーヒーを入れてお客様の前に出すべきではない」「ワイングラスにカレーを盛るなんて、とてもじゃないけど信じられない」といった「××だったら〇〇すべき」という因果論を展開するようになります。これが常識のベースとなります。

 この「~して当然」という常識がさらに強化されると、それはやがて法律や道徳・秩序となり、その約束を破ると冷たい目で見られる、罰金を科せられるなど、より強い判断基準となって人生に影響を与えるようになります。

 この〇×判断基準の最終進化系である法律や条例、罰則は毎年のように増え続け、ほとんど減ることがありません。企業でも、「残業を月50時間以上はしてはいけない」「自宅にパソコンを持って帰ってはいけない」といったルールが増える一方です。

 この「判断基準のピラミッド」は、より多くの人がその規定や約束、因果論を支持することで上の階層へと進化します。

 今ではストーカー規制法がありますが、最初にその名前がメディアなどで報道、認知され、やがて「ストーカーはすべき行為でない」というお約束が世間の常識となり、支持を集めだしてからは「ひどいストーカー行為をする人を規制し、罰すべきだ」という因果論が正当化され、やがて法案になりました。

 このように常識が生まれる背景を理解することは、自分と相手の潜在意識を見る際にカギとなります。生まれ育った時代と国などによって、個人の常識がつくられます。「当たり前」だと思い込んでいた「常識」も、決して絶対ではないのです。

 そして「当たり前」や「常識」が変化を起こすと、私たちの実生活にも大きく影響を与えています。具体的な事例を通して解説しましょう。

 たとえば、女性の社会進出。我が国は先進諸国と比べるとまだまだですが総合職や管理職につく女性の割合は増加傾向にあります。

 逆に昭和、バブル崩壊前の日本の社会常識としては「女性は家庭を守る」ことが求められていました。結婚すれば寿退社、あるいは出産したら退職を選択していた女性が多かったのです。
 
さて、ではなぜ「女性は家庭を守るべき」という因果論になったのでしょうか?原始の時代を思い浮かべてください。食料は狩りを行ってでないと獲得することができないとします。身重な妊婦さんに狩りはできませんよね?そうなると自然に「男性は外で獲物をとってくる」「女性は家庭、子どもを守る」という役割分担が進みます。農耕社会であっても同様、身重な女性に重労働を強いるとこはできません。そのような背景から整理すると

① 「男性は外で収入を作り、家に届ける」「女性は子どもを育て、家を守る」(約束体系)
② 「男性は家事・育児を担うべきでない」「女性は結婚したら退社すべき」(因果論)
③ 「夫を支え、家庭を守る女性」を〇とし、内助の功を美徳とする(道徳、倫理、秩序)

以上のようになります。①が支持され、強化されると②となり、③が最終形態とでもいうべき状態です。その結果、会社や社会において男性優先、総合職採用においても男性しかいない、というような状況になっていきました。

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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

リンクより

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉だが、ドイツの宰相であったオットー・ビスマルクの言葉だそうだ。

しかしながらよく聞く言葉である。この言葉を知っているだけで賢者にでもなったような口振りの人も見たことがある。

さて、 愚者は経験に学ぶというが、賢者も元々は 経験に学んでいたのだろうと思う。僕個人の考えとしては、歴史に学ぶということは、「歴史を知り、まるで自分のことのように受け止めて考えることができる」ということである(一般的な使い方は単純に「昔あったことから学ぶ」という文字通り的な意味なのかもしれないし、それはそれで大事である)。

以下は、上記の意味で「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」を使う。

そもそも学ぶということは、知識を覚えるという意味ではなく、腑に落ちて理解することだと思う。咀嚼して自分のものにする、自身の中で体系化する、色々言い方はある。

例えるなら、リンゴをいくつか食べて、リンゴに共通する本質を理解することのようである。「これは以前リンゴだとして食べた物より1cm大きいからリンゴではない」とするのではなく、リンゴに共通する本質をもってして「これもリンゴである」と分かるようになることである。言い換えるならば、自分の中にリンゴ観、リンゴのイメージが根付くことである。

愚者が経験に学ぶと言うのは、こうした感覚的・直感的に理解するために、手を動かさなければいけないことを言う。数・量をこなして体験してようやく自分のものとなる、そういうことである。

一方賢者が歴史に学ぶと言うのは、他者の経験をもって自分のことのように感じ、考えることが出来ることである。例えば、「レモンの爽やかな酸味が口に広がる」と言われたときに、食べてもいないレモンの味が再現されることがある。自分が今経験していないことでも、自分のことのように受けとることができる。ただしこの言い方だと、前もって経験していなければいけないということになるが、そうではない。

レモンの味を知っていれば、グレープフルーツやオレンジを食べたことがなくても、なんとなく予想が着く。自身の経験との共通点を見いだして応用することが出来るからである。

お金の計算などが「数」という抽象的な概念になり、他に応用されるように、賢者は一つの経験を抽象化して学んでいるのだろうと思う。

そういう意味で言うと、大抵の人が出来ている。しかし、それを様々なもので行える人は少ない。賢者と愚者の差は、数学を学んで数学しか学ばない人と、数学以外を学ぶことが出来る人の差である。




匿名希望

「なにを提供するか」より「なにを一緒に作っていくか」社員と顧客の関係性でみる“楽しく働く”ための視点

リンク

前略)

松下:では口火を切らしていただきます。僕は2018年、ドイツのベルリンに1年間滞在をしたんですけど、そこですごく感じたことは、顧客も社員ということ。目の前の顧客はどこかの社員であり、自分は社員だけど、どこかの顧客だという。

だからクリスマスや年末に店が閉まっていても、「しょうがないか、自分もそうだもんな」みたいな。その感覚ってけっこう大事なんじゃないかなという気がしていて。だからあまりにも「顧客を目の前にして」と考えすぎない。

一言で言うと「お互いさま」ということです、人生100年時代で、ずっとみんなが働き続ける想定をしていく時代。副業も広がっていく時代であれば、やっぱりお互いに働き方に関しては「お互いさま」の関係を築いたり寛容になるということが、ワークスタイリングで重要なポイントになってくると思っています。

■顧客とサービス提供者の境界線が溶けてきている
田中聡氏(以下、田中):「顧客」という概念が、もっというと、「顧客」と「サービスを提供する側」の境界線がどんどん溶けてきているなと感じるんですよね。以前のように、顧客が答えを知っているとか、明確な問いを持ってオーダーをしているケースって、ほとんどなくなってきているような気がしていて。

成し遂げたい大きなものはあるんだけど、それがまだふわっとしいてて言語化されてない。だから一緒に考えてくれませんかと。一緒にそのお客さんの持っている夢とか目的を達成していくために、パートナーになってやってくれませんかという関係性に、最近のサービスって近づいてきている気がするんですよね。

要するに、「顧客に何を提供するのか」というよりは、「顧客と一緒に作っていく、関わっていく」みたいなものが、チームワークという視点からみると大事になってくるのかなって思ったりしますけどもね。

司会者:上田先生はいかがですか。

上田:『プレイフル・シンキング』の本の中にも書いたんですけれども、「バイピープルデザイン」。つまりすべて、顧客も一緒になって考えるという。

例えば、僕は今建築プロジェクトのためのワークショップをさせていただいているんですけども、このワークショップは、顧客の方、つまり施主ですね。施主と建築家が一丸となってどうやって新しいものを作っていこうかと考えるのです。

今までは、例えば施主の方から設計与件が出ていて、この与件を満たすために、「こんな感じでどうですか」って建築家が模型を見せながら提案をして、施主はそれを「じゃあここはこういうふうに変えましょう」と作り直していく感じだったんですけど。

今、その与件といいますか、実は施主自身がなにを作りたいかが、はっきりわからないということが多い。だからそれを一緒になってジェネレイトしていくというワークショップをやっているんです。続きを読む
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